【放談住宅 2021/10/10】
昨日、土曜日、ね。
母親引っ張って、
精神科、行ってきたんさ。

主治医とあたし側と、
母親側、
どうしても、話が、かみ合わない。
…主治医はついに、怒鳴ったけど。
あたしに対しては、一度も
怒鳴ったこと、ないのに。
(警察呼べ!と怒鳴られた
 患者の数は、数知れず。
 …本当に警察呼ぶからね、あそこ)

もうね。
…ごめんね。
あたし、絶望して、
家に帰った後、
大型カッター出して、
首かき切って、死のうとしたんさ。
そしたら、
母親が、必死に止めるの。
「あんたが、こうやって、
 自分で死のうとしたときに、
 あたしが必死で止めたの、
 良く、わかるだろうが!!」
怒鳴ってやった。
そして、全力で大型カッターを、
机に叩きつけながら、
「これだけ!これだけ!
 死ぬほどつらい、3年間を
 過ごしたんだ!
 まだ、足んねぇよ!
 もっと!もっと!
 つらかったんだよ!!」
カッター、ぶっこわれた。
そして軽く、手のひらが切れた。
「ほら。やったぁ。
 手が、切れた!!」
見せつけてやった。
母、過呼吸で倒れかける。

…そしたら。
驚愕の事実が、判明。

進学塾への入塾手続き、
進学塾側から、
「合格しているのに、
 手続きに来ていないの、
 氷室さん、だけ!!
 すぐ、手続きに来なさい!!」
と、電話が来たのは、知ってる。
ここで、
『巨大な、思いの行き違い』
が、発生していた。

『試験を受けて、
 合格するほど、本気なのだから。
 望はその塾に、行きたいんだな』
…と、母は判断してしまった。
「あんたが手続きしたせいで、
 あたしの地獄への道は、
 開いたんだけど!!!」
また、怒鳴ってやった。
あたしは、選抜試験自体、
まったく覚えて、いない。
当然、意味もわかってない。
「意味がわかっていたら、
 白紙回答、出した!!」
きちんと、怒鳴った。

ここで、前提条件出します。
『ちょうどこの時、
 祖父が脳出血で倒れ、
 病院で寝たきりになっていた』
これ、現代の常識では
考えてはいけないことで、
当時はまだ、
「完全看護」では、なかった。
入院した人の、身の回りの世話は、
看護師さんや、看護助手さんが
やるのでは、なかった。
『家族が、泊まり込んで、
 世話をするのが、あたりまえ』
なので、母の生活は、
・仕事が終わる
・祖父の病院へ直行
・祖母と交代して、
 そのまま、泊まり込み
・朝、祖母が着替えを持って行く
・着替えて、出勤
・先頭へもどる
の、繰り返しだった。
(もっとも、
 都合がつかないときは、
 あたしも小学生ながら、
 泊まり込んだの、だが)
つまり…
「中学受験に、
 伴走すべき、母親は、
 そもそも家に、いない」
ということ、です。

そして、あたしは当時、
「仮面をかぶっていた」
…あのね。
足引っ張り合い、
蹴落とし合い、マウント取り合いの、
中学受験の進学塾にいたら。
仮面かぶらないと、
「やって、行けない」のよ。
進学塾は、「学校」ではないから、
(各種学校ですら、ない。
 ダンスサークルとかと、
 同じ扱い、と言えば、
 わかりやすい、でしょうか)
まず、先生は「教員」では、ない。
・小学校教諭の免許、不要
・それどころか、
 大学卒業でなくても、
 問題なし
なので、「いじめ」とか、
まともに対応してくれないの。
当時は、ね。
自分を守るための、「仮面」
その、『仮面のあたし』を、
母は見て、判断して
しまっていた。

なので、
『エレクトーンをやめた』も、
実際の手続きは、
死んだ、父か祖母がやった模様。
そして母は…
「エレクトーンを、やめてでも、
 塾に行きたいんだな」
と、判断してしまった。善意で。
見事な、行き違い。

つまり。
『中学受験なんて、
 やりたく、なかった』
『何度も、隅田川に飛び込んで、
 死のうと思っていた』は、
母にはまったく、伝わっていなかった。
約35年かけて、やっと、
この、つらい思いが、
母に、伝わった。
そして、やっと、
母とあたしの話が、
「かみ合った」

まぁ…そして、
いったん舞台は、
精神科の診察室へ、戻ります。
そして、主治医の提案により、
次回の給与からは、
「完全に、あたしの自由」に
なることに、なりました。
給与明細、母に見せる必要、ナシ。
もらった給与は、
一切母は、「タッチできない」
という、仕組みになることに。
これは、始まりは、
『あたしが、アルコール依存症である』
というところから、始まります。
アル中に、金持たしたら、
いけないの。
あっさり酒買って、飲むから。
なので、
「治療開始時期の、金銭管理」は、
されるもの。あたりまえ。
これが現在まで、続いていた。
なので、主治医は、
「もういい加減に、
 金のことは、本人に任せなさい。
 いい大人なんだから。
 そして、充分に回復しているんだから」
まぁ…この言葉が、出ること自体、
アルコール医療の現場では、
かなり珍しいこと、なんだけど、ね。

つまり、こういう状況だった。
・母は祖父の介護と、仕事で手一杯で、
 あたしに向き合う、
 余裕は、なかった。
・向き合っていないので、
 「望は、中学受験をしたいんだ」
 …と、判断してしまっていた。
この誤解を解くのに、
約35年、かかってしまった。
当然、あたしは、
『中学受験なんて、
 したく、ありません』

…。
……。
「長かった、ね」
やっと、あたしの思いが、
母にきちんと、伝わった。
そして、
「母の、つきまとい」は、
やめていただく、ことに。
『休日、外出するときには、
 母は基本的に、ついてこない』
という、ある意味、
「あたりまえの、状態」に
戻して頂く、ことに。
「知らなかった」とは、言え、
「母も、加害者」であることは、
変わらない、ので。

突然ですが。
『近々、ひとりで、
 京都、行きます』
あ、あと阪神の武庫川駅、ね。
10年以上、行ってないか。
ひとりで、関西は。

まとめますと。
母は、中学受験に対しては、
すべて「善意」で、
対応していた。
しかし、その「善意」は、
『あたしの意向と、真逆だった』
…善意は、怖いと、
改めて、思い知らされました。

『やっと。
 やっと、伝わった』

この先、どう事態が動くか、は、
あたしには、わかりません。
あまりに時間が、長すぎたので。
しかし。
『何度も隅田川に飛び込んで、
 自殺しようとしたほど、
 あたしは中学受験に、
 苦しめられた』ということは、
長い年月をかけて、やっと、
母に、伝わりました。

『地獄への道は、善意で舗装されている』
これを、思い知らされた、
土曜日に、なりました。
(456号)


…そして。
「嘘を使って、
 恐怖で、あたしを追い詰めていた、
 父に対しては、
 死んでも、恨み続ける。
 絶対に、許さない。
 盆の支度、自体、
 あたしにとっては、つらい」
ということも、
やっと…伝わりました。