…生き生きとした文が
書けるようになるには、
いつまでかかるか。

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『36.5』
 くっそー、もうちょっと、いやかなりあると思ったんだけどなー。って思っているところに、保健室の沼園先生が体温計をあたしから取り上げた。
「ほら平熱、教室に戻りなさい」
「でも先生、頭も痛いんです」
「そう言ってこの間はCTまで取った。異常ナシ。見え見えなんだからあんたは。物理の三田先生の授業、受けたくないだけでしょ?」
 体温計を消毒してケースにしまいながら、沼園先生が言った。痛い。実に痛い。どこがって、突かれたところが。
「だってー」あたしはそのままソファーに寝転んだ。
「三田先生の授業、眠くなるんだもん」
「じゃせめて、教室で寝なさい」
「先生が授業中に寝ることを認めるんですかー」
「肉体的にも、精神的にも、健康そのものな生徒を相手にするほど、保健室は暇じゃない」
「えー先生、いま保健室は先生とあたしだけじゃん」
「大人には大人の事情がある」
「ずっこーい」あたしは先生をにらみつけた。
「まったくあんたは」
 沼園先生は白衣のポケットに手を突っ込んであたしのところに来た。
「次の時間は授業に出ること、約束」
「はーい」
 沼園先生は小指を出してきた。ゆびきりげんまん、あたしは沼園先生のそういうところが好き。
「沼園先生。先生は保健室の先生が夢だったの?」
「夢、と来たか。うーん、養護教諭の資格は欲しかった。けど、ここに座っているのはある意味流されて?採用試験だって、やる気はなかったし」
「ふーん」あたしは思い切って続けてみた。
「あたし見つかんないんだよなー夢。進学希望は出したけど、大学ってどういうところだかわかんないし。その先なんて想像つかないって言うの?」
「あー若いっていいね」
 沼園先生はパソコンを見つめたまま、いかにもその気がないって風に答えた。
「生徒が真剣に悩んでいるんですよー、先生」
「それならお門ちがいですよー、進路の先生に相談しなさい」
「進路の先生ってさー、結局いい大学にいきなさい、って結論なんだもん。先生、大学ってどうだった?」
「大学か」沼園先生は宙を見つめた。
「そんな若い頃もあった、私も歳を取った、そういう感じかしらね」
「答えになってなーいー先生!」
「行けばわかるって」
 沼園先生はまたパソコンに向かい始めた。
「大学で見つかるかもよ、あんたの夢」
「先生、うまくはぐらかしてない?」
「あんたをはぐらかしても、あたしは一円の得にもならない。むしろ、仕事が先に進まない。まったく市も、現場を考えろっての。報告ばっかり求めやがって」
「ってことは、今のは先生の本心?」
「そうよ」先生は電卓をたたきながら言った。
「大学は、自分で何をするか決める所だから。どの授業を取るかとか、どのゼミに入るかとか。卒業できるかも自分の責任。その分、自由なところよ。戻れるんだったら戻りたいわ」
「むー」
 あたしは天井を見つめた。進路の先生は、この成績だったらこの大学とか、とにかく入試の話ばっかり。進学してからの話をしても、決まって返ってくるのは、「進学してから考えなさい」とだけ。やる気なんか出るかっての。…でも、自分で選べるって、ちょっと魅力かも。
「あたしみたいに資格が必要な仕事ならともかく、進学してから探したっていいのよ、夢。あたしだって高校生に、具体的な将来を持て、とは言えない。でもしか養護教諭だし」
「でもしかって何?」
「養護教諭『でもやるか』、養護教諭『しかないか』のでもしか。取れた養護教諭の資格に乗っかってきたって感じよ、今のあたしは。くっそーこれ、郵送しろ?また手間だなぁ」
 沼園先生はパソコンにかかりっきり。ていうことは、たぶん言っていることは本心なんだろうな。キツネ眼鏡の進路の先生の言うことよりは信じてもいいかも。でもあたしの夢は形がないまんまだなぁ、と思っていたらチャイムが鳴った。
「沼園先生ー、あゆむ迎えに来ましたー」
「ほらお迎え付きだよ、とっとと戻る!」
 沼園先生は保健室の入り口を指さした。クラスメイトが数人迎えに来ていた。あたしは立ち上がると、制服をぽんぽんと叩いてととのえた。
「三田先生の授業より、沼園先生の個人指導の方が役に立った」
「何の話したっけ。うわ、職員室のプリンタに飛ばしちゃった。ほらほら、いったん出た出た。あたしは報告書取りに行くんだから」
 沼園先生はそう言うと、「すぐ戻ります」の看板を保健室にかけて、保健室の鍵を閉めた。
「ま、何かの役に立ったみたいだから、いいか。あんたは味をしめないように。次の授業はしっかり出ること。いいね」
「はーい」
 返事をするとあたしは、クラスメイトと一緒に教室へ向かった。学校はいつもと変わりなかった。あたしはまた沼園先生の話が聞けるといいな、と思った。