「コケ方」を主題に、
ショートショート。
…こんな先輩いたらよかったな。
…だいぶはみ出した。
 原稿用紙7枚。
--------------------
 全楽器でロングトーン、その間にチューブラベル。決まった、というところで古川さんのタクトがひゅっと回る。息ぴったりで演奏が終わった。…たぶん、私をのぞいて。
「いい方向に仕上がってきています。ちょっと長く練習したので、思い切って三十分間休憩したいと思います」
 古川さんがにこやかに言った。みんな伸びをしたり、手元の水を飲んだり、のびのびとしている。けれども、私は楽器を持ったまま動けなかった。展開の部分、十六分音符が連符になっているところ。どうしてもそこで私は止まってしまう。さっきの練習も、止まったまま曲が終わってしまった。
「おーい、息してるかー?」
 鈴子先輩が膝を抱えて、私の顔をのぞき込んだ。
「気にしてるんでしょ?連符で止まっちゃうこと」
 私はこくり、とうなずくことしかできなかった。
「まぁ、今の段階で、止まっちゃうのは仕方ないとして、もう一度演奏に入れるか、よね」
 鈴子先輩は私の隣に座った。そして、譜面を指でなぞった。
「ここの、十六分で下がり切ったところ、ここから上がれないのよね」
「そうです」
「ゆっくり吹いてみようか。たん、たん、たん、たん、この位で。一緒にやろう。じゃ、下がる二小節前から。いい?」
 鈴子先輩は楽器を構えた。私も一緒に構えた。
「じゃ。たん、たん、たん、たん、さん、に、…」
 鈴子先輩と一緒にフレーズを吹いた。二小節前は平坦なフレーズ。四分、八分、八分、八分。それをもう一回。そして第三オクターブのEから一気に十六分でかけ降りてくるところ、そこから一気にかけ上がれない。
「うーん、フレーズはただ下がって上がるだけ、なんだけどな。けど、完全に止まっちゃうね」
 鈴子先輩は譜面をなぞりながら言った。そして、止まってしまうフレーズの少し先を指さした。
「ほら、登り切ったところ。ここの二分音符。下がり切ったら、登ること一旦忘れよう。ここの二分音符からもう一度入れない?さっきのところからやってみよう。じゃ、さん、に、…」
 言われたとおりに、十六分で下がり切ったら登らずに二分音符を待った。そうしたら、二分音符から演奏に戻ることができた。しばらく鈴子先輩と吹き続けて、鈴子先輩が止まった。私も演奏を止めた。そして、鈴子先輩が言った。
「戻れたじゃない」
「でも、十六分で登れてないです」
 鈴子先輩は、私の方を向いて言った。
「じゃ、たとえ話。マラソンで全員いっせいに走ってる。目標は、全員ゴールすること。途中、どうしても転んじゃう。転びっぱなしだとどうなる?」
「ゴールできません」
「じゃ、転んだけど、もう一回走り出したら?」
「たぶん、ゴールできます」
「答え出してるじゃん!」
 鈴子先輩は、いつもみたいに私の髪がぐしゃぐしゃになるほど、力を入れて頭をなでてくれた。そして、
「私も、吹き始めはどうしても吹けないフレーズとかいっぱいあった。正直なこと言えば、今でも苦手なフレーズっていっぱいある。けど、失敗したら立て直せること。私はそれも大切なことだと思う。次の合同練習からは、とりあえず戻ること。そこだけ考えたら?」
「…それでいいんですか?」
「そのうちに、自然と登れるようになると思うんだけどな。だって、吹き続けてるんだから。とんっ、と押されたら、絶対登れる。まずは止まっても演奏に戻ること。そこから始めよう。ね?」
 鈴子先輩の言うとおりだ。ひとりでずっと止まっていたら、ゴールできない。一緒にゴールできないから、ずっと練習がつらかった。…できることから、やってみよう。
「時間でーす」
 部長の声が音楽室に響いた。みんな席に戻った。古川さんも指揮台に戻った。
「では、全パート最初からとおしで」
 タクトが宙を舞う。タクトがピンと前に出た瞬間に、全員が演奏に入った。あれ、演奏ってこんなに楽しかったっけ?
 そして、どうしても止まってしまう所が近づいてきた。止まったら戻ればいい、そう言い聞かせた。思ったとおり、十六分でかけ降りたら止まってしまった。けど、先の二分音符で戻ればいい。……今だっ!
 気づいたら演奏に戻っていた。最後の金管と木管での主題のかけあわせ、そしてロングトーン。チューブラベルが曲の終わりを告げている。古川さんのタクトがひゅっと宙を切り裂いた。…そして、演奏が終わった。
 ぼーっとしている所に、鈴子先輩と美香先輩が、楽器を持ったまま、私の前にしゃがみこんだ。
「戻れたじゃーん!」
「大進歩!だいじょうぶ、きっとできる」
 私は、今まで感じていた、演奏後のうしろめたさがないことに気づいた。そして、できたんだ、という気持ちになっていることに、やっと気づいた。
「止まったけど、吹けました」
 私はぼそっと言った。鈴子先輩と美香先輩は一瞬顔を合わせると、私を向いて、声をそろえて言った。
「吹ききった!」
 鈴子先輩が私の前で膝をついた。そして、目線を合わせてこう言った。
「苦手なフレーズは時間をかけて、ゆっくり練習しよう。まだ本番までは時間があるから、きっと完成するって!」
「はいっ!」
 私は、こんなに元気に返事ができるなんて、と思った。きっとできる、初めてそう思えるようになった。…失敗も怖くない。フレーズはまだ吹けていないけど、何かから抜け出した。私は、そう思えるようになっていた。