「挫折する物書き」
という姿が降って来たので。
…原稿用紙6枚
「なんだけど」
…削れない。
何度読み返しても三行削れない。ちくしょう。

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「俺の言わんとする事は、解るだろう」
 電話の向こうで彼はこう言った。雑誌の次の号は新人賞の候補発表だ。つまり、候補が決まった、と言う事だ。
「正直に言う。君の原稿は、下読みから上がって来なかった。つまり、そういうことだ」
 新人賞には膨大な数の作品が持ち込まれる。選者の作家が全部目を通すことは無い。作家の卵、編集部員、ライター連中、そう言った立場の人間があらかじめ下読みする。そして、これと言ったものを候補に上げていく。候補に上がらなければ、当然賞には入らない。
「もう五回になるだろう」電話の向こうで、煙草に火をつける音がする。
「君の生活だって見て来たさ。貯金を切り崩して、ロクな物も食べずに、真摯に作品だけを作り上げて来た。その姿勢は評価するさ。けど、結果は結果だ」
「あきらめろ、という事ですか」
 やっと僕は口を開くことができた。
「そうするかどうかは、君の勝手だ。ただ一つだけ忠告したいとすれば、生活を立て直せ、ということだ」
 僕は机の上に目を落とした。書きかけた原稿の他に、書きなれない履歴書と、写りの悪い証明写真が置いてある。
「一年や二年、すこし離れてみちゃどうだい。君は生活を立て直す。地に足をつける。趣味で書くな、までは言わないさ。時間があれば、また持ち込んできてもいい。最初に俺のところに来た時みたいにね」
 もう何年前になるだろう。五年は経っていることは確かだ。恐る恐る編集部へ電話をかけた時、出てくれたのが彼だった。とりあえず持ってこい、話はそこからだと言って、その時は電話が切れた。彼との付き合いはそれからだ。
「結果は分かりました。ご連絡に感謝します」
「君の人生だ。俺にはどうすることもできない。…判ってくれるよな」
 そう彼が言うと電話が切れた。僕はしばらく受話器を持ったまま動けなかった。ようやく受話器を置いて、机の上の書きかけの原稿を破いた。思い切り破いた。そして、あえて台所の生ごみの中に放り込んだ。
 それからどれだけ時間が経ったろうか。僕は履歴書に写真を貼り、封筒に入れて封をした。宛名はもう書いてある。切手も貼ってある。あとはポストに入れるだけだ。
 部屋の外に出たときに、隣の奥さんとばったり会った。奥さんはにっこり笑って「こんにちは」と言った。僕はふと、あることを思いついた。
「確か子供さん、小学生でしたよね?」
「言う事聞かなくて、困ってるのよ」
「ちょっと待っていてください」
 僕はそう言うと、急いで机に戻って、まだ使っていない原稿用紙の束をかかえて、部屋を出た。
「これ、子供さんに使ってください」
「あら、こんなにいいのかしら?」
「…いいんです」
 奥さんは原稿用紙の束をぱらぱらとめくった。
「これ、銀座の老舗のじゃない。小学生にはもったいないわよ」
 形から入ろうとして、銀座の街を迷いに迷って買った原稿用紙だった。
「いいんです。紙は紙、ですから」
「ウチも困ってるから、頂いちゃうわよ?」
「どうぞ、差し上げます」
 僕はそう言うと、アパートの階段へ走り出した。そうでもしないと、未練が残ってしまう。アパートの階段を駆け下りて、ポストの前に来た時には、すっかり息が上がっていた。そして、用意していた履歴書をポストに入れた。
 この厳しい世の中で、何年も空白が空いている履歴書が、どれだけ通用するかわからない。けれど、彼の忠告は聞こう。確かに、僕の生活も限界が近づいていた。僕の中で何かが崩れる音がした。生きて行かなければ、そう自分に言い聞かせた。
 数日後、アパートのポストには、お決まりの文章で書かれた不採用の通知が届いていた。また破いた。思い切り破いた。そしてまた、生ごみの中に捨てた。
 僕は机に向かうと、もう一度履歴書を書き始めた。今喰らいつくべき物は文章じゃない。仕事だ。五年以上戦い続けて来た事を思えば、一度や二度で負ける訳にはいかない。百回だって負けてもいい。僕はコンビニに置いてあった求人誌から、自分ができそうな仕事を選んで、その宛先を封筒に書いた。屈辱を感じないと言えば嘘になる。けれど、自分に勝たなければ。いつか生活を立て直して、また魔物と戦ってやる。封筒に貼った切手は、ほんの少し傾いていた。