なんつーの(挨拶)

A5を
「縦に置こうか」
「横に置こうか」
ずっと悩んでいるバカです。
縦の方が書きや…うーん、
色々な意味で「幅」と考えれば
横だなぁ…ねぇ。

個人的には。
「書き手が違えば、
 頭の構造が違うので」
プロットやシーンの
まとめ方・出し方は
異なっていていいと思うの。
逆に言えば、
「自分なりの方法が
 見つかるまでが
 一番苦しい」とも
言えるわけで。

例えば
「舞台の時代」
これ、あたしは基本的に
『悩まない』
あくまで、現代「風」
…「風」としたのは、
若干の幅があったほうが、
最初の考え出しとしては
可能性が出てくるから。
例えばね…
主人公がスマホを持てば、
ほぼ「現代」
電話をかけるために
売店でガム買ったら、
「20年くらい前?」
いつにするのか、を
決めるのは…
『小説として固めるまでなら、
 いつでもいい』
ただ、自由なことは
逆に不自由でもある。
「スマホで地図見てた人が、
 電話をかけるために
 10円玉探してたら、
 さすがに、おかしいよね」
あたしがよく
「背骨」とか「芯」とか
言っていることの一端は、そこ。
ぼやーんと浮かんだ世界が
一体、『いつ頃だ』
これは、なにかの時点では
決めなければならないこと。

ただ、発表するまでは
「書き手の勝ち」なので、
舞台設定の時に決めてもいいし、
途中まで書き上がったところで
「やっぱ…年代変える!!」
別にそれでもかまわない。
『ちゃんと、つじつまが合えば』

とは言え、舞台の時代設定は、
「物語の中での人物の動きや思い」
からしたら、重要度が低…
「そこまでもいかないのが、
 小説の楽しいところでもあり、
 苦しいところでもあり」
小道具としてのスマホって
ほんと、恐ろしいよね。
「せめて」2010年から
先でないと、世界が破綻する。
逃げ道として、
「あえて、出さない」という
手はあるものの、
「コミュニケーション手段」
これで困ってしまうのは明白。
もちろん、
「いっそ、黒電話と赤電話の
 世界にしてしまい、
 完璧に昭和だ!!」
当然にアリ。『描けるのであれば』

あと人物像。
個人的にはね…
「生き物」「人間」だということは、
考えの端っこには
あったほうがいいと思ってる。
『人間なんだから、
 考えだって変わるし、
 言ってることだって変わるよ!』
…やりすぎると破綻するので
要注意ではあるものの。
「高校二年と高校一年の
 吹奏楽部の女の子」とだけ
決めた「おはなし」の中で、
『キャラクターが勝手に動く』
あたしはひたすら、つぶさに見て
言葉に落とすだけ…ということも
経験しているので、
走り始めの時は、思いっきり
「ぽやん」としてても
いいんじゃないかしらね。
…ただ、どうしても
『盛りたくなるんだぁ!』
「個性」と「設定」は
違うんだよ…ということを
意識できるには…
一回、失敗するか…
盛った設定を後から読み返して
「…これはナシだなぁ」と
思うのか…
これは本当に冷酷だけど、
「書き手自身にしか
 感覚としては、わからない」
部分かもしれない。むー。

みたいなことをね。
手元にある紙やノート…
あたしはA5の白紙だけど。
筆記用具はなんでもいいんで、
ぐりぐりと書いてみる。
あらすじでもいいし…
『フローチャートだって
 かまわないんだぞ!』
発表するまでは、
一方的に書き手の勝ちだから。
発表したら、もうその作品は
「読み手のものだから」
これも感覚ではあるんだけど…
「どう読まれてもかまわない」
やぶれかぶれ、と言っても
いいかも知れない。
発表という手段を取ったと
言うことは、
「後は野となれ山となれ」
あたし個人としては、
あとから作品の内容について、
あーじゃこーじゃ言うのは
好きじゃない。
「読み手の自由を奪うから」
「こう、書きたかったんだ!
 うまく、いかなかったの!!!」
これ位は言うかもしれないけどね。

いや。難しい話じゃなくて。
「自分が読み手として
 嬉しいであろうことを、
 書き手として行う」
…軽く立ち位置が難しくなってきたね。

「高度なお人形遊び」は
見方によっては多次元的で、
『書いている世界』
ある意味では箱庭だよね。
『書き手と読み手』
とんでもないリアルだよね。
だって現実だから。
『この二つを両立させる』という
結構「おそろしいこと」でも、
あると、あたしは思う。


だからこそ、
「やってみたくなる」
ものじゃないかな。たぶん。