…失敗した。
「仏教」カテゴリ作っとくべきだった…

コレねぇ…
本気で、大学の仏教学部の
『大学院レベル』の話に
なっちゃうんでねぇ…

『在家の一信徒が
 自分で解釈したに過ぎないので、
 合っているかどうかは、
 まったく、わかりません!!』

本気で、
「どっから手を付けたものか…」
という感じです。


…では。前提として。
『お経は、必ずしも
 お釈迦様の教えが
 書かれているものでは、ない!』

「えーっ!」という反応になるか、
「…ま、そういうものだよね」
という反応になるか。

では、お釈迦様の時代に
さかのぼってみましょう。
お釈迦様のお生まれと入滅は、
これも諸説があるもの、に
なってしまいます。
なにしろ入滅だけで、
有力な年としては、
・紀元前949年
・紀元前544年
・紀元前396年
・紀元前383年
…約550年位は、差が出てしまうのですよ。
しかし、「お釈迦様の時代のインドでは、
文字は普及していた」
とするのが、一般的です。
しかし、お釈迦様は、
自らの教えを、文字にすることは
許しませんでした。

その理由ですが、
まず、当時のインドに文字はありました。
しかし、商売や法の公布などに限られたものでした。
お釈迦様の教えや、この文章の様に、
「世俗」に用いるものでは、なかったのです。
お釈迦様は、自らの教えを文字にすることで、
教え自体がお釈迦様を離れ、
敬虔さも失われてしまうと考えたのです。
なので、お釈迦様から直接教えを受けた
お弟子さんたちは、
お釈迦様の教えをすべて口伝、
身体で覚えたのです。

しかし、お釈迦様は入滅されます。
「お釈迦様の教えを司る者」は、もういません。
「もう、とやかく言われることはない」
そう口にしたお弟子さんもいました。
このままではお釈迦様の教えが変わり、
そして失われてしまう、と
「聖典の編纂」が行われます。
これを「結集(けつじゅう)」と言います。
第1回の結集は、500人の阿羅漢達に
よって行われました。
(五百羅漢は、ここから来ています)

しかし、第1回結集の時点でも
やはり「口伝」、
文字ではなく、修行者が暗記をしたものになります。
経典が文字になったのは、
紀元前2世紀~紀元前1世紀ころまでに
徐々に形成されたもの、とされています。

ただ、結集の結果については、
「かなり正確に残されていた」ようです。
歴史上では6回結集が行われており、
最後の第6回結集は、1954年にビルマで
行われました。
第3回結集については、
南伝仏教と北伝仏教(日本に伝わったのはこっち)
では伝承の内容が一致していない…ものの、
第6回結集本を底本に、
日本語で読むことができるパーリ仏典である、
片山一良訳『パーリ仏典』シリーズが
刊行されています。
えーっと、松本文三郎 著の「仏典結集」が
NDLデジタルコレクションに
あるっちゃーあるんですが、
「明治36年9月刊」なんですよ。
さしものあたしでも、これは相当に
「腰を据えないと」読めないですよ。



『で、ここからが大変なんです』
インドの仏教史をたどりますと、
お釈迦様から始まる「初期仏教」
分裂し諸派となった「部派仏教」
そして「大乗仏教」が成立します。

なぜ「大乗仏教」が生まれたのか。
これは、お悟りを開く
「時期」「場所」が関わります。
大乗仏教成立前は、お悟りを開くのは
「現世で修行をした後」でした。
自らが悟りを開いて「阿羅漢」になるのです。
しかし、これでは限られた者しか
救われないことになってしまいます。
お釈迦様は、なぜ王子という身分を捨て、
お悟りを開くために修行をなされたのでしょうか。
一切衆生、生きとし生けるものすべての
苦しみを救おうとしたから、ではないか。
このお釈迦様の精神にならって、
広く民衆を救うための、
「新しい教え」が必要ではないか。
こうして、「大乗仏教」が生まれたのです。
大乗仏教での往生…つまり乱暴に言うと、
・人間は死後、仏の国に生まれる。
・往生する世界は仏の世界であるから、
 そこに生まれることは成仏する事である。
…成仏してますから当然、悟りは開かれている訳です。
大乗仏教の教義を明確に打ち出した経典として
「華厳経」、「法華経」、
「浄土三部経」、「涅槃経」が成立しました。
「大乗仏教」の思想が説かれ、短く、
そして日本人になじみのあるお経…
『般若心経』が成立しました。
もちろん、今までの教えが
完全に否定された訳ではないです。
スリランカ、ミャンマー、
タイ、カンボジア、ラオスが
部派仏教の末裔、「上座部仏教」の国々です。
そして「大乗仏教」は中国を経て、
日本へ伝来することになります。

つまり。
「お釈迦様入滅後に成立したお経」でも、
仏教では「お経として成立」するのです。
お経をひとつひとつ紐解きますと、
「中国伝来後に、中国で成立したお経」
これを「偽経(ぎきょう)」と言います。
しかし「偽経」だから否定される、
というものではありません。
「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」、
このお経は「偽経」ですが、
日本の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、
つまり「お盆」の由来となります。

で、「般若心経の成立時期」ですが…
「般若心経」は、
「大乗仏教と密教との交点」でもあるので、
『いつと取るか、が非常に難しいんです!』
有名な最後の一節の
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」
ここはサンスクリット語を用いると
意味を持たせることができるのですが、
実際にはここは「真言」、
つまり密教における呪文の部分なので、
日本の各宗派、ここは基本的に「訳しません」
(浄土真宗では般若心経を基本的に用いませんが、
 それ説明すると「この記事くらいの長さ」に
 なってしまうので、今回はご勘弁を…)


カトリック教徒からしますと、
『なんか、はぐらかされた』という
感想になるかもしれませんが…
「聖書のような『かたまったもの』は、
 仏教には、ないんです!!」
言い方非常によろしくないですが…
「大量のお経の中から、良い物を選び、
 そこから教義を組み上げる」
…浄土宗だって
「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の
浄土三部経をよりどころにし、
法然上人が開祖された、と言えます。
そして。そもそも。
「インドから中国に仏教が伝わった時は、
 経典や教義などは、
 なんの整理もされずに伝わったのです」
実は経典の整理・体系化は
「中国で行われた」と言えます。

つまり、仏教は。
「伝わっていくうちに、
 形が出来上がって、
 そして日本の
 伝統仏教となった」とも言えます。

しかも今のインドは、
「ヒンドゥー教圏」ですから…
(インド圏と仏教圏は、現代では微妙にズレます)

では、現代の日本の仏教で、
「あっさり死後、仏になる」を端的に表しているのは、
実は、「香典袋」に表れています。
通夜・葬儀・初七日など、
四十九日より前は、「ご霊前」を使います。
四十九日法要以降では、「ご仏前」を使います。
(宗派によってはすべて「ご仏前」になります)
まぁただ!!導師となる僧侶としましても!!
「執り行いました。
 ただし残念ながら、畜生道へ堕ちました」とは
口が裂けても、言えませんから!!

ん?
浄土三部経は、大乗経典なんだから、
浄土宗としては、「お釈迦さまがお説きになった」
ということになっているけど…
あ、やっぱり仏教研究上は、
お釈迦様の入滅後に成立してるんじゃん。
観無量寿経に至っては、中国撰述説もなくはない…?
『宗務庁、ここは見逃してよぉ!
 うっかり、わかっちゃったんだからぁ!!』

そして「パーリ仏典」
出せはしたけど、うまく、入んなかった。。。
そうとう、がんばったんだぞ、これぇ…

ただ、ここらへんで「言い訳」させて
頂くとですねぇ…
これ以上「入り込んで」行くと、
すーぐスピリチュアルだぁ、
経典の独自解釈だぁ、
般若心経はサンスクリット語でないと
云々とかに、突き当たっちゃうのですよ!
あたしはあくまで
「念仏を信ぜん人」なのですよ…

そしてもう一度、お釈迦様の時代に
さかのぼりますと、
当時のインドでの「文字の立ち位置」が
現代や、それこそラテン語とは
比べるのが難しい…という
かなりな難題にぶつかります。
「なんか、手掛かりあるの?」
という感じです。正直なところ。

しかし。
ありがたく、日本の仏教、
かなり立体的に俯瞰することができました。
まぁ、仏教公伝の段階で大乗仏教なんですから。
で…インドはあんまり、
いじくりまわさないことにします。
これこそが、仏様のお導きなんじゃないかと
『ムリヤリ結びまして』筆を置かせていただきます。