「仏」「仏陀」
当然、お釈迦様、釈迦牟尼を
意味します。
「仏の悟り」を開いた人も
意味しますので、
それでも矢印が向くのは
お釈迦様、となります。
「釈迦ただ一人を仏陀とする」
ですね。

しかし、インドで仏教が
部派仏教→大乗仏教と
時代が進みますと、
多くの如来・仏が
生み出されます。
浄土三部経の一つ『阿弥陀経』には…

東方にも、南方にも、
西方にも、北方にも、
下方にも、上方にも、
「恒河沙數諸佛 各於其國」
恒河沙…つまりガンジス川の
砂粒の数ほどの仏がいらっしゃると
書かれています。

一在家の一信者が
このようなことを言うのは
おこがましいことですが、
「あとから生み出されたから
 その考えはおかしい」と
言えるのでしょうか。
「大乗仏教の成立」に
立ち返りますと、
一切衆生、
生きとし生けるものすべてが
救われる術はないのか。
その時の智者たちが
知恵をふるい、
『見つけ出した』
のではないでしょうか。
誰もが、救われるために。

一連の記事は、もしかしたら
法然上人の
逆鱗に触れるものかもしれません。
あなたは一枚起請文を
読んだものではないか、と。
念仏を信じる者ではないか、と。

しかし。
すべては皆、
「誰もが、仏教のご慈悲を受けられるように」
智慧をふるい、口伝や記録を探し、
今の私たちが、結晶として受け取れるように
「形にしてくださった」
のではないかと、私は思うのです。

一連の仏教シリーズは、
いったん、このあたりにて
筆を置かせていただければと思います。

氷室朱実




ただ、仏説阿弥陀経の冒頭の
ココ突っ込まれっと痛いんだ。
「如是我聞 一時佛 在舍衛國 祇樹給孤獨園 與大比丘衆 千二百五十人倶」
さすがに!これは!
あたしの手に!余り過ぎる!