今回、縁によって
インドでの仏教の誕生から、
大乗仏教の成立、
そして日本への伝来と、
あたしは知ることと
なりましたが…

「お念仏のありがたさは、
 まったく、変わらないと
 思うのです」

もう一度、
一枚起請文に向かいました。
そして、気づきました。
あたしに求められているのは、
「ふるまい」だと。

「念仏を信ぜん人は、
 たとい一代の法をよくよく学すとも、
 一文不知の愚鈍の身になして、
 尼入道の無智のともがらに同じうして、
 智者のふるまいをせずして
 ただ一向に念仏すべし。」

確かに、
知識は得たかもしれません。
しかし、この知識が
「合っているか」の保証は
まるでなく、
ましてや、
ひけらかすものでは、ありません。

劈頭宣言にも、ありますよね。
「愚者の自覚を」

あたしは、これからも、
自らを、愚かな身として
「ふるまえるかどうか」

ある意味では、試されています。
しかし、
ある意味では、安心しています。

つまり。
今までと、何の変りもなく、
お念仏をお唱えすれば良いのだ、と。

知識は知識、教えは教え。
あなたが信じるものは、なに?

『浄土宗、すなわちお念仏です』
胸を張って言うには…

やはり、「ふるまい」なんです。
日常に、ふと出てしまう
偉ぶったところに気づいた時…

「気づけた」と思えれば
良いのではないか…と
思っています。

これ以上書くと、
「智者のふるまい」になりそうなので、
今夜はこのへんで、やめておきます。

おやすみ☆