【放談住宅 2020/08/25】
まーた、
『LGBT・支援』という
文字を見てしまい、
若干機嫌の悪い氷室朱実です。

何だろうね、このやな感じ。
「多数側から、手を差し伸べなければ」
ということであれば、
穿った見方すると、こう見えるよね。
「多数側が上、少数側は下」
となると、行きつく先は、
「余計なこと、すんな」となり、
現時点より、話がこじれる。
『ありゃ』だよね。

「なんだろうねぇ…」と、
取り上げられた記事読みながら、
当事者側で運動されている方の
写真を見ていたところ。
「あれ?ひとり?」
…ここか?

当事者であっても、
「自分以外のセクシュアリティは
 わからない」ものでしょ?
あたしだって、トランスジェンダーを、
万力使ってひん曲げたような、
『自分自身』
いや、自分自身であっても、
全てを知っている訳ではない。
となると。
「あたしが思いついたことであっても、
 すべてのセクシュアリティのため」
とは、言えないんじゃないか?
もしかしたら、ここらへんから、
話の方向が違うんじゃないか?
…と。

出発点を、
トランスジェンダーに置くよ?
…でないと、良くわからん。
まず、関わるのは「性自認」だよね。
ほとんどの方は、
身体と心の性は一致…しているらしい。
で、身体の性と心の性が一致しないと、
トランスジェンダー…
「いや、待てよ」
実は、一致していないんだけど、
なんとなーく、めぐりあわせがうまく行き、
今は孫までいるけれども、
「そうねぇ…幸せだったんじゃないかしら」
と言う、『じいさん』がいたとしたら。
「トランスジェンダー」なんでしょうか???
「変わったじいさん、だったよねぇ」で
みんな受け止めてました。
『という話、でしたとさ』と、締めくくっても、
本人も、周囲も、幸せだよねぇ?おそらく。
あえて、LGBTを引っ張り出してこなくとも、
いいんじゃないかしらねぇ…
やっぱ、斜に構えるかしら。

となるとね。当事者であっても、
「LGBTの枠組みを、使うか、使わないか」
これは、選べるのではないか、と。
「日本の現状のLGBTの枠組み」が、
なんとなく合わない、という当事者がいても、
何らおかしくもないし、
「ご自由にどうぞ」としか、言えないでしょ?

こう考えていくと。
実は、関わる人、みんなが。
ここをつい、見落としがちだから。
…うまく、いかないんじゃ、ないでしょうか。
例えば、今から一万円札5枚握りしめて、
…タクシー代一万円、追加で。
二丁目へ、前のめりで遊びに行ったとしても。
…そもそも、どこ行っていいのか、わかんない。
これがあたしの、正直なところだなぁ。

ないんだよー。
トランスジェンダーが、心の上着を脱いで、
一息つけるような場所がー。
結構皆さん「着たがる」からさー。
二丁目じゃなくてもいい。
三丁目でも、西新宿でもいいよ。
小さな場所に、たどりついたら。
『とりあえず、メイク落としていい?』
…あったら嬉しいけど、なさそー。。。

と。ここまで書いても。
書いたこととしては。
「トランスジェンダーから、軽く出入り」
しただけ、になるよねぇ。
他のセクシュアリティに触れている余裕…
「正直、ありません」

こう、一当事者が。ない髪の毛…違う。
無い頭を振り絞ったとしても。
「L・G・B・T、4つをいっぺんには、
 考えられないよー…」
やっぱり、ここに立ち返らなければ、
何も始まらないのでは、なかろうか。

ここで。
『ものすごーく乱暴な考え方、します』
【ストレートじゃないって、自分で思う人】
…我ながら、なんかすっきりしてる。
・個々のセクシュアリティは、違う
・多数側のストレートでは、ない
これ、まとめて、言えた。
欲をかくと、この一言の中には、
アセクシュアルも、入らないか???

確かにね。
セクシュアリティの枠組みを超えてでも、
ひとつの方向を向いて、
小さな力を合わせる必要があった。
これは大いに大切なことだし、
忘れてはいけないことだとは、思います。
…けど。
「ラベリングの一手段」となってしまっては、
「ちょっと、ちがうんじゃないの?」と、
あたしは思います。

当事者であっても、
「LGBTを知っている」とは、
必ずしも、言えない。
いや、わかんないところは、
一生かけても、わかんないんじゃないの?
あたしのところに、
「こじれまくった、レズビアンの話」を
持って来られても。
『ごめん、それは、わかんないわ!!』
「今まさに、二丁目でフラれて来たんだけど…」
と、言われても。
『話聞くくらいしか、できないよぉ?』

なんかね。ほどく必要があるのは。
「向こうではなく、こちら側」
一回なにかのきっかけで、
個々をお互いに、見ていかない?
そういうこと、必要じゃないか、って
あたしは最近、思っています。

夢物語かもしれないけど。
「当事者の中で、
 お互い、ラベルを使わない理解」が
深まった段階で。
やっと、多数側との関りを
考えられるんじゃないか。
しかも。これには。
「飛び込んで来なかった人も、いるよ?」
でも、いないわけじゃ、ないよ?

こう考えると、相当重たい話なのに。
「4つのアルファベットで、
 すべてはー。表せないよねぇ」
…と、思うことも、
必要なんじゃないかと、あたしは思います。
(175号)