【放談住宅 2021/01/26】
『記念になるかどうか、知りませんが』
…早速弱気になっております。

まぁ…ここが、Yahoo!時代を含めて、丸2年以上。
ここが分離独立したきっかけが、
『学園革命が、書けちゃった』
…あわてて分離させたねぇ、あの時は。
そしてあちらは、
すっかり廃墟風味となっております。

「こちょこちょ」的には、実は
書いてたりするんですよ。
「挿入歌」的な感じに、ね。
けど。いざ「挿入」しちゃうと、
『手数が一個、減らないか…?』
あわててNASに押し込んで隠しとく…とか、ね。

やっぱりねぇ、書いていて思うんだけど。
思い描いているシーンの中で、
『描ける』割合は、50%以下だねぇ。
ヘタすると3割台で推移してみたり。
ただ、そこを「足りない」と見て、
「書き過ぎる」と、今度は
「盛りすぎ」か、「説明しすぎ」に
なってしまう気がしてます。個人的には。
書くことは、ある意味では「交点探し」
こっちが書きたい世界を、どう表現するか。
読者様が読んだときに、どう想像して頂けるか。
表から見たり、裏から見たり、
紙に打ち出したりして、『う゛ーーー。』
「そういうものじゃないか」と、
最近感じつつあります。

実は、そうとうに難しい描き方は、
「毒にも薬にもならず、印象にも残らない」
ではないか…と、最近感じてます。
印象に残らない…つまり、
「さらっと読んで、さらっと読み終わった」
違和感も、不自然さも、感じなかった。
これは、書き手側に立つと、
「そうとう、むずかしい」と、感じます。

こないだ、かな。
「シーンの転換」的な場所を、書いてたのね。
ただ…そのシーンへ向かっていることは、
読んでいけば、だいたい想像がつくので、
『効果音だけで、
 あえて余計なことは、書かない方が
 いいんじゃないか』
確かに、シーンを構成する
『要素』というものは、あるんだけど。
地域差であるとか、
それこそ、読者様の経験の違いなどで、
『想像する内容』は、相当に変わるだろう…
「では、そこに関しては、
 読者様が想像した内容のままで」
キャラクターが動いてくれれば、
充分なのではないか。と、思いました。

そこらへんで、「歌詞との違い」を感じます。
歌詞であれば、それこそ3分程度という
時間の制約の中に、
「土台からすべて組み上げる」と、するならば。
「小説」であれば、キャラクターの個性や足跡。
ストーリー自体が歩んで行き、
帰結するであろう世界。
そこを、うまーく使うことで、
「引き算、引き算のくりかえし」で、
組み上げることもできるよね…
と、最近感じてます。

うーん…なので、丸2年の間で、つかんだことは、
『いかに、引けるか』なんじゃないかなぁ…
「良くある、アマチュア小説の冒頭部分」
・キャラクターが動きます
・名前から属性から、しばらく説明が続く
・別のキャラクターが動きます
・また説明が…
だと、どうも「導入」としては…疲れないかい?
『なので、いっそ、噺を書いた』
江戸落語ならば、
いちいち説明するのは「野暮」なので、
「会話の中で、
 そのうちわかってくりゃー、いいよ」
やっぱ『引く』だよね。余計な要素を入れない。
「しかし、設定として入れたいという、欲」
ここもやっぱり、交点さがし…なんだろうね。

ただー…
作品への「選択肢」が増えた分、
『悩むことも、増えました』
目下、「アウトラインをまとめる手法」を
探しています。
ツールであるとか。まとめ方であるとか。
「どうしようか、ねー…」です。

しかし。
ここまで来たこと自体、
奇跡だ、ありがたいことだ、と、思っています。
『仕事と言う現実との、交点探し』という、
勤め人の悲しい事情もありますので。
『けど。あきらめない。』
いつか、形になってくれれば「いいなぁ」

そして、この放談住宅でもって、
「伝える」ということを、トレーニングする。
そうやって、また、しばらく。
続けさせていただければ…と、思います。
(300号)