風呂というものは、ですね。
『なにかを、おもいつく』
ところなんじゃないかと、
あたし最近、思うんです。
「弁天様の噺」も、
風呂で、思いついたし。
…風呂でまた、思いました。

子ども。幼稚園とか、小学生。
『突拍子もないことを、
 おもいついて、やっちゃう』
でしょ?
あ!そう言えば。
「小梅小学校の、
 体育館下の、ピロティ」に、
遊び用のタイヤがあったでしょ?
「授業中に、
 新しい乗り方を、思いついて」
休み時間になって、
駆けだしていって、
タイヤ確保したの、ね。
乗りました!やりました!
『そのまま転んで、
 タイヤにひかれた』
大爆笑されたけど、さ。
「嬉しかったよ、ね」
こんなこと、思いつかないだろ!
ダメだったんだぞっ!…って。

時は下りまして、『現在』です。
「おはなし」を、
考えていると、します。
頭をフル回転させて…
『バカなことを、考える』
誰も思いつかない、こと…
あたらしい!こと…
なんだろう…
常識で考えちゃ、ダメだ。
『バカになり切れ、バカに』
なるんじゃ、ない。
『バカそのもので、ないとっ!』
…は。
・毛沢東語録が、ある
コレ…か…?
吹奏楽部を舞台に、
考えてたんだよ、ね。
『合わせたら、どうだ?』
むー。いまいち。
『行くところまで!
 行って!しまえっ!!』
…そうです。「幸の話」です。
最初、「真子を引っかける」時。
幸はあくまで、
『常識人でないと、いけなかった』
なぜなら。
『真子と岡山さんを、
 巻き込む、ためには』
心を読まれては、いけないから。
そして、いざ『学園革命』です。
そこでは…
「幸の黒さ」と、「幸の冷酷さ」
見事に!思いついた上に…
『形にまで、できた』
それ、見方を変えると、ですね。
『なんで、そんな話を、思いついた』
と、言うことができると、思うんです。

この二つ。
『突拍子もないことを、
 思いついて、やっちゃう』
『なんでそんな話を思いついた、と
 言われるほどの、世界を。
 思いついて、書いちゃう』
実はこの二つは、
『つながっているのでは、ないか』
と、思いました。

つまり。両方とも。
『「常識」という輪の中から、
 どれだけ遠くへ、飛び出せるか』
結果。
自分が乗ってたタイヤに、ひかれた?
「笑いが取れたから、いいじゃん!」
とんでもない話が、できちゃった?
「ものすごい!オリジナルじゃん!!」

風呂で考えた、結果。
『子どもの時に、
 「きちんとバカを、やっていないと」』
新しいもの。
誰も、思いつかないもの。
これを、作り出して、
「形にまで、持って行くこと」は、
できないのでは、ないか…

つまり。
『心から、バカに、なる』
いや。
『自分すべてが、バカに、なる』
これは、ちゃんと、
「子どもの時に、できて、いないと」
できないのでは、ないか。

そう。
笑われても、いい。
むしろ。
『自分から、笑われに、いく』
そうやって、
『バカに、なる、こと』
これを、「堂々と、できるのは」
子どもと、ものかきの、特権ではないか。

心は、いつまでも。
「なーんにも、考えていない、
 子どもの頃の、あの頃」に
戻れないと、
いけないんじゃ、ないかなー…などと、
『風呂で、思いました』

…子どもの頃に、できなかった?
大丈夫です。
『今』この瞬間に、
『バカになっちゃえば、いいんです』

という、
真面目な、『バカな話』でしたっ!!