【放談住宅 2021/02/10】
んー。
今日は、余裕があるので。
『かがみよかがみ』伊藤あかり編集長の
文章を、もう一度、読み返しました。
「…んー?」

昨日引用した「前段」に、
ものすごい『違和感』を、感じた。
これ…巨大な『穴』が、ないか…?

---引用開始---
社会が決める「正しい・正しくない」という基準は暫定的で、数年後には変わるようなものです。そんなものに振り回される必要はない。自分が「こうあるべき」と思ってる物差しを、「それは本当に私が決めたこと?」と問いをたてられるだけで、少し楽になれるかもしれない。

正しい・正しくないを抜きに、「私」が感じた違和感を大事にしてほしい。そのために、「女性は~」「社会は~」ではなく、「私」で語る場をつくりたかった。違和感やもやもやを言語化して、「私だけじゃなかったんだ」「それを言いたかった!」という読み手の子たちと手を取り合いたい。社会のためじゃなくて、私の生きやすさのために。それが結果として、より良い社会につながるはずだと私は思っています。
---引用終了---

まぁ…サイトの向きとしては、
社会を向いている。
伊藤編集長は、そう思っている。
『しかしー…』
主語が『私』だけで、
完結してしまうので、あれば。
小さな「コミュニティ」は、
いくつも、できるかも知れない。
けど。「そこで、止まってしまう」
同じ問題。同じ違和感を感じている者が、
小さなコミュニティを、
いくつも作った、ところで。
『大きなコンセンサス』を作ることは、
『できなく、ない?』
こう言われたら、もう、おしまい。
『個人的な話、でしょ?』
『あなた(たち)が
 そう感じている、だけでしょ?』


すなわち。
『かがみよかがみ』内部の、
小さなコミュニティ間「で、すら」
『私的なこと』で、
すべてを終わらせてしまう、
可能性を、残している。
いや…もしかしたら。
『確信犯で、そう、した?』

そう。
書き手も、読み手も、
『目の前50cm程度の範囲内で』
すべてが、完結してしまう。
そこから『外』へ出るには、
主語は『私たち』そして、
『(現在の)社会は』と、
大きくして、いかないと、
大きな合意形成は、できない。
しかし、『かがみよかがみ』での
主語は、あくまで『私』だと、
伊藤編集長は、言っている。

つまり。
『ごっこ遊び』『やった、つもり』
という、「自己満足」は、できるけど。
『何かを、変える』『社会を、変える』
これ…できなく…ないか?

視点を変えると。
『伊藤編集長は、むしろ、楽です』
かがみよかがみ「内部」の
動きだけ見ていれば、いいからね。
『大きな動きになる可能性は、
 ものすごく、小さい』
なんだっ…て…?

ということは。
『かがみよかがみ』は、
『メディア』という体裁を、
持っては、いるけれども。
『広く、公に』という、
メディア本来の機能を、
『あえて…封じた…?』

これは、悪質じゃないか?
かがみよかがみの「外」からは、
かがみよかがみは、
『メディア』に、見える。
自らがそう、名乗っているからね。
けど、実際は。
『目の前50cm程度だけを扱う、
 私的集合の集まりでしか、ない』
そして、かがみよかがみの
読み手も。書き手も。
かがみよかがみの『可能性』を
信じていたと、しても。
編集長自らが、「主語は、『私』だ」と
言ってしまって、いては。
『私』→『社会』と言う線が、
ものすごく、「つながりづらい」
そして、この部分の、
伊藤編集長の、結び方。
『それが結果として、
 より良い社会に
 つながるはずだと
 私は思っています。』
もし、あたしの「仮説」が、合っていて。
この結びは、『幻想』だと…したら???

『社会に対しては、
 なにも、できないんだよ。
 かがみよかがみ、は』
穿った見方をしてしまえば、
「運営側が、封じて、いるからね」
もっと穿った見方をすれば…
『運営側が、
 すべてをコントロール、できるからね』

あたしの勘違い。
あたしの読み間違いで、あって欲しい。
しかし…
あまりに、筋道が、できすぎている。

『新しい皮をかぶった、
 運営側が人工的に作った、
 ムラ社会…?』

追えば、追うほど。
調べれば、調べるほど。
虚無感にさいなまれる「メディア」って…
あたしは。経験がありません。
(312号)

…なので。
『かがみよかがみ』に対して、
『気持ち悪い』と言う感覚を
持っていたと、しても。
『それで、合っているんだよ』
なぜなら、メディアの機能の一部を、
『あえて』封じて、いるからね。