知人のSNSを何とはなしに読んでいて、ふと知人と知人の間での「村上春樹論争」を思い出した。……確かに、そのままノルウェイの森へ進んでしまっては、狐につままれたような感想しか残らないだろうと私は思った。
 そういえば……村上春樹の本は、ほとんど実家に残して来てしまったが、ここにもあるはずだ。私は「頭が良さそうに見える、小道具」となっている、マルティン・ハイデッガーの形而上学入門、そして存在と時間を取り出した。その後ろに、村上春樹の本が何冊かあるはずだから。
 私の期待は、半分叶い、半分叶わなかった。確かに村上春樹の本は、あった。しかしそこには、1Q84、ダンス・ダンス・ダンスと、決して「初期の村上春樹作品」と呼べる本がなかったからだ。
 中国語の辞書の後ろまで手を伸ばしてみると、羊をめぐる冒険を見つけた。これであれば、かろうじて「初期の村上春樹作品」と呼べるだろう。私は上下巻になっている文庫を取り出し、椅子に座って読むことにした。
 この作品に出会ったのは、恐らく中学校を卒業する頃か、高校生の頃だ。私にも、むさぼるように村上春樹を読む時期があったのだ。その頃は、まさか私が小説を書くようになるとは、想像もつかなかった。その「想像のつかない頃」へ帰りたくて、本のページをめくった。
 ……そうか。「もっとも礼儀正しい酔っ払い」の描写は、この作品だったか。私は駆け足で本のページと、過去の私への通路をめくっていた。
「地震だ」揺れは治まる様子がない。戦後すぐに建てられたこの家だから、このまま地震が大きくなれば、家の形と共に私の命も崩れてしまうだろう。村上春樹の本を持ったまま、瓦礫に埋もれて死ぬというのも悪くない。私はそのまま、羊をめぐる冒険を読み続けることにした。家が揺れている。いや、世界が揺れている。私はその揺れをまったく気にせずに、羊をめぐる冒険を読み続けた。部屋の隅で、何かが崩れ落ちた音がした。かまわない。きっとこの後は、もっと大きなものが崩れ落ちるはずだから。悪くない、悪くない。私は揺れに身体を任せたまま、そのまま本を読んでいた。
 残念ながら、私は幸運ではなかったのだろう。気づいたら揺れは治まってしまっていた。私は本を閉じ、部屋の隅で起きた、小さな世界の異変を片付けることにした。
「よっこいしょ」
 家具の隙間に落ちた、たばこの箱を拾い上げ、元どおりに積み上げると、すっかり世界の異変は元に戻っていた。……そうだ。この出来事を小説仕立てにするのも悪くない。
 そして私は、最近買ったワープロソフトの画面を開いて、こうして何かを書いている。書く意味など、どこにもない。私はこういった、「意味の、ないもの」が大好きだ。わずかな時間の出来事だから、わずかな量にもならないだろう。実際、原稿用紙三枚程度で、結末を迎えそうだ。
 意味の、ないものだから、結論をつけるのはやめておこう。そう思い私は、ここで筆を置くことにした。

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「すごいよ」
一太郎の文章校正機能のモードに
「小説」が、あるからね。
三点リーダーとかの約物が、
奇数になっていると、
きちんと指摘してくれる。
「これで初めて、
 約物は偶数と、
 知ったんだけどね」
引っかかったところを、
直すか、無視指定をかけるか。
そしてもう一度印刷して、読んで、
「言葉としては正しいが、
 自分の意図とは違う」場所を、
注意深く、見つければいい。
どうやら、「書く道具」とともに、
有能な「編集者」も、手に入れたようだ。

『スチャラカ以外も、書けるんだからね!』
あー説得力がない。ないったら、ない。