…。
知らないことは、
「知らない」と、言っておけば
いいものを。



---引用開始---
もちろん、江戸時代には戸籍というものがありません。だからそもそも「戸籍の上での姓」が江戸時代にはなんだったか、という問い自体が「そんなものは、ない」という回答にしかならないわけです。
---引用終了---

…では?
なぜ、明治政府が、戸籍制度。
現在で言う「旧法戸籍」
きちーんと、編製が
できたんで、しょうかね?
目の前にある、
某茨城県どこかの旧法戸籍には、
万延だぁ安政だぁ天保だぁ、
江戸時代の元号が、
はっきりと、載っているんだよね。
あ、家またいだら慶應もめっけ。
居所自体も、ね。
何々国何々群どこそこ村って、
書いてあるんですねー。目の前、に。
旧法戸籍だから、ね。
「家督がどうなったか」も、
もちろん、はっきりしている。

『「そんなものは、ない」なら、
 なんでコレ、作れたんだろうかー』

【寺にしっかりとした記録が、あるから】

江戸時代の身分保証は、
「何々宗どこそこの何々寺檀家」
で、あることが、はっきりすれば、
身分保証となりました。
例えば「通行手形」
これがないと、関所がとおれません。
「この何之何右衛門
 何々にまかり出て候
 この者代々何々宗どこそこ何々寺
 旦那(≒檀家)ニ紛れ御座なく候」
ここから先は、現在のパスポートに近く…
関所は間違いなく、お通しください。
行った先では申し訳ないが、
御宿お願いします。
相果てと申し候とも
(万が一、そっちで死んじゃったら)
御国もと何々宗にて
御取仕廻下さるべく候
(そちらの国の何々宗でもって、
 片付けてやってください)
「誰々代官所
 何々之国何々群どこそこ村
 何年何月何日
 名主 誰々何兵衛

 諸国御奉行所様」…と。
これ書くのは、基本的には庄屋か名主。

現在のお寺のイメージだと、
浄土宗信徒であるあたしですら、
「仏、ほっとけ」とか、言っちゃうけど。
江戸時代には「寺請制度」が、あったので、
(檀家制度とは、
 厳密に言うと、違うんだけど)
『どこかの寺の檀家でないと、
 いけなかった』
それを証明した物が、「寺請証文」
これが、行ったり来たりすることにより、
現在で言う所の
「転出届・転入届に、なった」
そして、「宗門人別改帳」
これが、戸籍原簿にも、
租税台帳にも、なりました。
「寺が、地域の役所も、兼ねていた」
とも、言えると思います。
つまり。
「これ以上ない、
 はっきりとした記録が、
 寺にきちんと、残してあるので」
戸籍はちゃーんと、作れたよ、ということ。

ただ。「寺請制度」自体は、
ルーツとしては、
決して褒められた物だけでは、なく。
「キリスト教弾圧が、根っこにある」
ということは、否定できません。
「一族郎党、全員まとめて、
 寺の檀家に、なれぇっ!」
…ということ、だからね。

ま。これ知っている理由は、
あたしが仏教徒である、ということ以外に…
「祖父の家は、名主で、祖母の家は、庄屋」
ということも、ございますが。はい。
当家、500年くらいは遡って、
きちんと調べて、記録してあります。
武家でなくとも、
名字帯刀は、許されてましたし。
そして記録が、本気で古くて、
本気で遡ると「妻」ではなく、
「内室」…なんだよね。


『毎度おなじみ。
 聞きかじったことから、
 知っている「フリ」していた
 だけ、でしたー!!』
…ええかげんに、せぇよ。