星のかけらの宝箱

どなたかこ存じではないでしょうか、このブログの方向性を…

カテゴリ: ものかき術

さぁ、順調に、順調に
「足踏み状態が続いています」
さっぱり書けない、書き出せない。

スタートというか、「入り口」は、
2パターンくらい考えてあるのよ。
そしてやっぱり、人名と
人物相関図。
「原稿用紙5枚縛り」であれば、
3人+α程度しか人物は「出せないから」
あれで良かったんだけど、
5枚を超しそうだとなると、
やっぱ必要だわ、人物相関図。

で?舞台?どこにしようか。
どこでもいいっちゃ、どこでもいい。
墨田区向島!「近所だから」
仮想でもいいんだけど、
「重箱の隅の埋め方?」
自分が気になるということは、
読者様も気になるということでして。

『長い長い、停滞期に入った』
とでも、認識すればよろしいのでしょうか。
そして、この人裏で
「音楽」もやろうとしているからね?

「アタマの中を出す」って、
やっぱ難しい作業だわ。うん。

「三人のおはなし」
「卒業式のふたり」
書いたのは、間違いなく、
例の動画見る、前なんだわ。

「三人のおはなし」には
裏の意図が、あって。
「400字詰め原稿用紙
 一枚で、
 どれだけ書けるか、
 書けないか」を、
知りたかった、
身につけたかった。
ほんっと、書けない。
「取捨選択」を
きちんとやらないと、
入らないし、描けない。

で。
「文学の基礎」なんて、
わかる訳が、ないので。
「想定読者の年齢を
 下げてみた」
あの頃は、高校生が精一杯。
今ではもう多少…いやムリ。
実際に児童文学読むと、
「あぇっ??」というくらい、
縛りがキツい。
けど、運良く、
「想定読者層」というものを
考えることができたので、
あの形に、なった。

「ニセシリーズ」は、
村上春樹・内田百閒を読んだ人なら、
「これ、わかるでしょ」
という、お遊び。
言うなれば「マニア向け」
そこから二回ほど、
「全身使って、すっ転んで」
その上、一回、
「構想段階で、ぽしゃって」
やっと「三人のおはなし」に
来ることが、できたんだよねー。

そして、今。
やっぱり、仕事で、
「朝から、夕方まで」という
いい時間を取られてしまうのは、
きびしい。
週末は「疲れを取る」で、
せいいっぱい。
「一年くらい、
 自由に時間、使えたらなー」
とも、思うんだけど、
お給料は大切。
「なんか手は、ないんか」
と、もがいて三年以上。

と。ここまで書いてみて。
「自分に足らないところを、
 見つけて、おぎなって」
ということは、大切なんだねー。
すっ転んだから、こそ、
「入り口、まちがえた。
 たぶんー、ここから」
という手が、取れた訳だし。

また誰か、
あたしの頭の中に、
現れては、くれないか。
そして、
「しばらく、
 いて、くれないか」
せめて、
文章に落とす間、までは。

いやー。
『書けなくなったー』

確かに、今まで書いていたものとは、
ちょっと方向性を変えたいと言うか、
「男女の境目」みたいなところを
描いてみたい、というのはある。

すると
「共通了解」が、
今までの高校とかと違って
思いっきり少ないので、
そこを、どう「埋めようか」
というところが、わかんない。

ただまぁ、
思い描いている中で、
『男女という概念すら、
 打ち砕いて、自由にしてしまう』
って、描けたらいいなぁ…とは、思う。
お姉ちゃんが、中学校卒業したから、
おさがりで、制服もらって
喜んでる「弟君」とか、ね。

そして、自分の「経験」を
思い出してみると。
世間で言う『男女』と、
実際に経験した『男女』って
かなーり「違う」のでは?
とも、思う。
例えば、
初めて「野球」というものを
経験したときに、教えてくれたのは
『近所のお姉さんたち』
だったよなー…とか、ね。
あの「昭和の終わり」の
小学生時代に、
あそこまで「打ち砕いた」んだから、
「書けそう」な、気もするし、
世界もある程度、描いてあるんだけど、
…書けない。
どう「始めて」いいのか、
よく、わからん。そんな感じ。

恥かくのは、いいんです。
笑われる覚悟がなきゃ、
そんなもの、書けないはず。
ただ、描く世界が、世界なだけに、
『あまりにお手本が、なさすぎる』
…そらそーだ。
創り出すしか、ないんか。やっぱ。

「そんなところは、悩まなくて良くて、
 好き勝手にやったもの勝ちだよぉ!
 『正解』なんて、ないんだから!」
というメッセージは、込めたいんだけど。
書けてもいないものには、
込められません。当たり前だけど。

『手がかりさがし』を、
じっくりやるしか、ないんでしょうね。

わかんない、けど。
わかんない、けどっ!!

…もう、
どのカテゴリに置こうか
「わからんぞ?」
この話、は。

まー自分でも、
「文学」なんて、
めーーーんどくさい、ものに、
なんで、手を出したのか?と
思うことも、あります。
だって、さ。
・なんにもない、平面に。
・「舞台」を、でっちあげ。
・「人物」を、でっちあげ。
・「みぶるいするよな
  うまいこと」が、いくように、
 「演じさせる」
そして手段は、
「言葉しか、ない」
弘法大師?とか一瞬、思ってみたり。

で、「さっき」何してたか。
「財務省のWebサイトに行って、
 国際収支のCSVファイルを取り出して、
 Excelでグラフにして、眺めてた」
気になったからね?とあることが。
そして、あと2年ちょいの間に、
「証券アナリスト基礎講座」の
修了試験に合格しないと、
「一万ウン千円が、パーになる」
でも、テキストを読んでいると、
気になることが
ちょいちょい、出てくるから、
確かめたくなるじゃ、ないですか!

最近、
「振り幅、狭めたいんだけど、
 狭まんない」いいんだか、悪いんだか。

そして、たまにはここから、
「おいしいエサ」がみつかったり…
「おいしいの?」わからん。

-----引用開始-----
カルチャーのオリジナリティなんて、嘘っぱちだと思ってます。どの文化もそれぞれ影響しあい、模倣しあいながら変化しつつ発達しています。偏狭なナショナリズムが、特定の時期だけを切り取って「民族固有の伝統」をでっち上げるからこそ、オリジナリティやら発祥やらを過度に重視するような馬鹿馬鹿しいことになるのです。

そもそも私はアーチストなせいか、オリジナリティというものに世間ほどの重要性を認めていないです。制作行為の中で、今まで見てきた、経験してきた他者のアートが共鳴しあい、反響しあい…で「自分」というものがようやく立ち上がってくる、そういうものではないのでしょうか?個性やらオリジナリティが孤立でしかないのなら、そんなオリジナリティに意味があると思いません。

完璧なオリジナルなものは、絶対に他人に理解されない

とまで思うのですよ。捻くれているかな?
-----引用終了-----

最後の方の、
>完璧なオリジナルなものは、絶対に他人に理解されない
そら、そうだよ!
完璧に、自分の世界だけで
「閉じている」ならば、
「外界との、接点」すら
必要ないから、他人に理解されないし、
「理解される
 必要すら、ない」
究極的には、表現するって、
「自分を満足させるために」
行っているからね。
なので、
「社会の求めに、応じる」ならば、
その時点で「妥協」してる。
言い方変えると、
「自分を、曲げてる」
たまーーーーーーに、
「妥協」してないものを、
「ヘンなの、できたよなー」って
満足してると。
『外界が、やかましい』
…なんだよ。へ?
「こんなんが、いいの?」
外界へ、放り投げてみる。
「どうなるか、知らない!!」
こんなこと、
一生に一度あれば、いい方だと
思います。はい。
(「表現者の偏屈」って、
 ココらへんが原因じゃ、
 ないスか?わかんないけど)


ただまぁ、さっきの引用に至るまでの、
偏狭なナショナリズムうんぬん、
というのは、納得できない。
「小学2〜3年生の、オリジナリティ」
と、
「ナショナリズム」は、
さすがにー。関係ないと思う。
もっとも、
「ヤマハ音楽振興会の、JOC」
つまり
「ヤマハ音楽教室の、
 ジュニア専門コース」って、
『選別された子どもに対する、
 英才教育』だからねー。
「すくい取られた、上澄み」
だからこそ、
オリジナル性を求められるし、
応えられるんだと、思う。
なぜ、そこにいたのか、わかんないけど。
そらまぁ、
「毎朝、全校児童で、
 インターナショナルを歌う」
小学校があれば、その「逆側」に、
「ナショナリズム小学生」は、
いるかも、しれないけど。
…インターナショナル小学校、
大陸中国にあるの?知らねぇ。

そして、
「ヤマハのJOCに出てくる、小学生」
なんて、ヘタすっと、
10年、生きてないんだよ?
そーこまで「インプット」が
あるとも、思えないなー。

「フュージョン」は、
あるでしょうね。
あるものと、あるもの。
ただし、
「誰も思い付かない、組み合わせ」
で、組んでみると、
「思いがけないものが、生まれる」
「ホットケーキミックスに、
 シアン化合物を…」
「ただの殺人行為だ、それは」
「じゃ、あえて自分で食べてみる」
「だからそれは、自殺!!」

あー、どうしようよアレ、
「幸の話」
ごめん、
「脳みそが、足りない」
「おつむが、足りない」ではなく、
もう能力の、限界です!

あ。
あ。
「表現の、はじまり」と、
「立ち位置」が、違いすぎるんだわ、
この人と、あたしは。
「表現の、はじまり」って、
あたしは「模倣だと、マズい」
「十二音平均律の、音楽」から
始まった?始め、させられた?
から、あたしにとって、
「模倣は、怖いもの」
なんですよ。JASRACとか。
そこを、
「コピー業者、だよーん」
とか、ふざけて、
ニセシリーズをやってみたら、
なぜか文学に、行けちゃった訳で。
なので、あたしは、
表現するにあたり、
「重要性を、認めていない」のは、
むしろ『外界との、接点!』
偉大なる、松鶴家千とせ師匠が、
「わッかるかなァ、
 わッかんねェ、だろうなァ…」
ということを、残してくれたことは、
すごーく、ありがたく思っています。
けっこう本気。わりと、本気で。

何かを表現するにあたり、
「狙った訳で、ないのならば」
創り出すプロセスの中で、
外界の反応とか、
社会の反応とかを、
期待したり、気にするのは、
なーんか「負けた」気が、します。
「認められなくて、いい」
「ウケなくて、いい」
だからこそ。わきわき。
『思いっきり、やっちゃうぞー☆』
そして、できあがってから、
できたものを、眺めつつ、
「出そうかな」「隠しとこうか、な」
これは好きに自分で選べば、
いい訳でして。
「練習だからー。
 誰かに見てもらって、
 反応があると、うれしいなー」
とか、ね。

「表現者」としては。
「社会に求められる、
 社会の一員としての、営み」
以外の、行為として、
「自らの欲求としての、
 満足としての、表現」
を、行っているならば。
『誰に何思われても、
 かまわねーや』
『言わしとけ言わしとけー。
 好きなこと、言わしとけー』
と、
「一回外界を、遮断」しないと、
「自分の世界に、
 ふかーく潜って行くことは、
 できないような、
 気がするけど、ねぇー」
そして、
「外界を、見ていない」
「外界が、見えていない」
からこそ、
「オリジナル」という、
「結晶」が、生まれるのでは
なかろうか。


ごめん。謝る。
『あたしの方が、
 よっぽど、極端でした!』




まー、
「経済」とか、
「インベストメント」とかで、
『強制的に、
 外界の世界へ、引き戻される』
現状って、
ありがたいのかも、知れないね。
もっとも、あと1〜2年もすると、
「ニセ竹村健一」に
なってるかも、しれないけど!!
『だいたい、やねぇー』

はい。
「在宅勤務の、ひまつぶし」です。

えーっと。
冒頭はWikipediaの「受け売り」に
なる部分が、かなーり、あります。
ここは先に、バラしておきます。

現代音楽。無調。
そしてあたしは、
「個人的には心地よいので、好きだ」
と、記事にしました。
しかし、実は、
「境目」が一箇所、あるんです。

ジョン・ケージに触れたので、
アルノルト・シェーンベルクに
触れない訳には、いかないのですよ。
二人は密接な関係に、あります。

アルノルト・シェーンベルクが、
実は「十二音平均律」から、
「十二音音楽」つまり、
『調から自由になることに、成功した』
つまり「無調」の世界に行くことに、
初めて成功した…と、言いたいんだけど、
時は既に20世紀。
記録がいっぱい残っているから、
「アルノルト・シェーンベルクが、
 独自に成功したとは、言えないのでは?
 シェーンベルクより先に成功した人が
 いるぞ?」
ここの論争、ごめん、
「触れずに、そっと、させて」

そして、「調から、自由になった」
ということは、逆に言えば、
「調が、使えなくなった」
つまり、
「音を、12個の中から、
 どうやって、選び出そう」
アルノルト・シェーンベルクは、
それを一から、積み上げる必要がありました。

そして「和声」は、残しました。
「和声法」は実は、とっくの昔に
成立してるんですよ。
今から銀座のヤマハか、山野楽器の
譜面コーナーの理論書あたりに
行って見てください。
…売ってるから。「和声法」の本。
ところが。
この成立している「和声法」は、
「調の中での、和声」なんで、
「無調」になるには、
「感覚の中、響きの中で、
 独自に組み立てなければ、いけない」
そして、ジョン・ケージ。
ジョン・ケージは、
アルノルト・シェーンベルクに、師事します。

しかしこの二人、
「大きな隔たり」が、ありました。
アルノルト・シェーンベルクは
ジョン・ケージに、
「音楽を書くためには、
 和声の感覚を持たなければ、いけない」
と、言いました。
しかし、ジョン・ケージは、
「私は和声の感覚を、
 全く、持っていない」と、答えました。
アルノルト・シェーンベルク、こまった。
そしてジョン・ケージに、
「和声の感覚を持っていないことは、
 君が音楽を続けることの障害になるだろう。
 ちょうど、
 通り抜けることができない
 壁に突き当たるようなものだ」と、言いました。
それに対する、ジョン・ケージの答えは、
「それなら、
 私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」

なので、ジョン・ケージの作品は、
『譜面、どうやって読んだら、いいんだよー』
ぐらい、難解。
解があるのかどうか、なんて、
ジョン・ケージにしか、
わかんないんじゃないの?
というくらい、難解。
だって、
「進み方すら、ぱっと見では、
 さっぱりわかんない」んだもん。
そして、私がジョン・ケージを聞いて、
心地よいと感じるかどうかー。
『保留に、させて』
だって、わかんないんだもん。
「わかんない」を
道案内してくれそうな、
松鶴家千とせ、亡くなっちゃったし。
「同時期の現代音楽」なんだけど、
シェーンベルクとジョン・ケージには、
私には「明確な境目」があると
思っています。
そして、
ジョン・ケージの「実験音楽」
この呼び方、ジョン・ケージは
拒否していたんだけど、
最終的には「実験音楽」を
名乗るように、なった。

ここで。
私は中学生に、戻ります。
あの時の本所中学校の生徒、
どれだけ頭が良かったんだ…

ふと私は、
『実験文学』というものを、
思いつきました。
しかし周囲に、
がっつりと、止められました。
「文学でも、なんでも、
 実験というものに向かうためには、
 まず基礎ができていないと、
 成立できない。
 なので、実験文学へ向かうのなら、
 まず文学へ向かわないと、いけない」
私、納得しました。そら、そうだ、と。
そしてずっと、
文学に挑戦することは、なかった。

そして、ふとしたきっかけから始めた、
「原稿用紙五枚縛り」
鈴子・美香・舞由。
高校の吹奏楽部での、
三人の女の子の物語。
書き始めるにあたって、
私には少しだけ考えが、あった。
「文学の、基礎…
 それはさすがに、私にはわからない。
 しかし、
 独善的な、自分の中だけの、
 閉じた世界にすることだけは、やめよう。
 せめて、読んでくださった方が、
 読んでくださった方のイメージで、
 三人が動けるように。
 できれば、生きているかのように。
 何か手段は、ないだろうか」
そこで私は考えた。
高校生の物語なのだから、
中学生・高校生が読んで、
できることならば、共感でき、
イメージが描けるように。
それこそ「コバルト」の中の
一作品のようなものを、
書くことって、できるんだろうか。

『できたような、気がする。
 わかんない、けど!!

この「わかんない、けど!!」
外れることは、一生無いと思っています。
そして「実験文学」どころか、
「文学に入りかけたところの、
 敷居に足引っ掛けて、転んで、
 ひっくりかえった、まま」です。
「実験なんかにたどりつくには、
 2回か3回、
 生まれ変わらないと、ムリだろう!」

そして話は飛びますが、
結ぶから、待って。
私が初めて
「ノイズ・ミュージック」に
出会ったのは、
タモリの「音楽は世界だ」という
テレビ番組です。
あれ、贅沢だったよね。
まぁ、贅沢だったから、
終わっちゃったんだろうけど。
確か、最終回。

やりとりは、省きますが、
「演奏」は、こうでした。
・鍋やお玉やフライパンなどの、
 台所用品が、並んでいる。
・奏者が「鍋」を、持った。
 そして「鍋の蓋を、外した」
 金属製の鍋の蓋でしたので、
 「鍋の蓋を外した音が、鳴った」
・続いて奏者は、
 「鉄球」を、手にした。
 そして「鉄球」をかかげたあと、
 そのまま鍋へ、落とした。
 「鉄球が鍋に落ちた
  音が、鳴った」
・その鍋を、
 鍋の中で鉄球が転がるように、
 ゆっくりと、動かした。
 「鍋の中で、
  鉄球が転がる音が、鳴った」
ここでテレビ側からストップがかかり、
演奏中断。

ごめん。
「理解、できなかった」
どこに、とりかかりが
あるのか「すら」、わかんない。

私が一時目指していた、
「できる限り平易な表現を使い、
 中学生・高校生が読んで、
 頭の中に世界を描いて
 もらえそうな、もの」は、
人によっては、
『媚びている』と、言うかも知れない。
『中高生向けなので、
 表現が単調で、物足りない』と、
言うかも知れない。

「そう言われて、構わない、と、
 私は考えています」

テレビを通じて、最初に出会った、
ノイズ・ミュージックのように、
「入口も、とりかかりも、わからず、
 理解しようにも、感じようにも、
 手がかりが、わからない。
 ある意味では、
 独善的で、わざと他人を遠ざける、
 自分もしくは、
 自分の仲間うちにしかわからない
 かもしれない、
 難解で閉じた表現」は、
「私が望んでいる、もの」では、
ないから、です。


…。
やっと某銀行との
バトルが、おわったーっ!!
(裏で仕事、してました)

【放談住宅 2021/12/08】
名前に困ったときの、
ありがたい、助け船。
「明治安田生命の
 名前調査」
2021年版が発表されておりました。

『男の子は「蓮」くんが
 2年ぶり7回目のトップ!』
「蓮」は正直、
使いたくない字のひとつでは
あるんだけど、ねー…
『「泥の中でも力強く根を張り、
 連なってたくさんの実をつける」
 蓮(はす)の花の特徴に由来!?』
…だ、そうで。
つまり…あれ?
「ドブに落ちても 根のある奴は♪
 いつかは蓮(はちす)の 花と咲く♪」
いーじーははっても ここーろーのなかじゃ
ないているんだ にいさんは♪
…「男はつらいよ」の、二番。
なんか…この歌。
粟野の山、登るときに歌って、
「歌…うまいなぁ」と、
ガイドのじいさんに、
ほめられた記憶が、ある。

女の子は『紬』ちゃん、だそうで。
…もちっと、いい反物使わない?
紬って普段着。。。反物だと、高いか。
ひとり、有名人いません?
軽音部のアニメで。
そっちに引っ張られそうで、
なんか紬も、使いづらいっちゃ、
使いづらい。
他の漢字との組み合わせも、
むずかしいし。

しかし、ありがたいです。
かなり「現実的」な
資料、ですからね。
男女とも『きらっと感』は、
かなりおさまった、気がします。

…ね!
『生命保険は、
 若くて健康なうちに!!』
健康診断の結果に、
なんのケチもついてない頃に、
「厚めの終身保険に入ってしまうこと」
割とオススメです。
終身保険は、欲しくなる頃になると、
そもそも年齢で、保険料が上がるし。
そして、
「必ず支払いがある契約なので」
解約するか…万が一に、なるか。
いざとなったときの、
「まとまった、お金」にも、
なると言えば、なる。
解約返戻金と契約者貸付の試算は、
毎年来る…でしょ?
あたしの入っている某生命は、
年末の控除証明書といっしょに、来ます。
そして「試算がほしい」と言えば、
いつでも計算してくれる、はずです。
…入りたいけど、病気したぁ?
オバチャンお姉さんに相談だ!」
告知書はありのままに、
ありのままに!書きましてですね。
追加資料求められたら、
出してください。検診結果とか。
「出して、とおしてみないと、
 わかりませんので」

じゃっかん、
「生命保険の宣伝も、した」
感が、ありますので。
今年もありがたーく、
使わせていただきます。
『明治安田生命の、名前調査』
(473号)

【放談住宅 2021/04/11】
…ネタがない。
ないったら、ない。

そこで。
あたしが、どう、
『おはなし』を作っているか、
に、ついて。

思い浮かぶのは、突然。
「あ。こういう子で、
 こういう世界…いいねぇ」

しかし。
この段階では、
「こんがらがって」いるのですよ。
短い糸が、ぐちゃぐちゃに
丸まっている状態。
時系列であるとか、
キャラクターの方向付けとか、
それこそ「不自然さ」とか。

そこで。
『ほどけるか』を、やってみます。
ここは、こうすれば、いいし…
ここは、若干、手を入れて…
「こんがらがった、糸」から、
糸を、一本一本、整理して、
色分けしたり、種類分けしたり。

当然、
『ダメ、だったーっ!!』も
あります。
「ここは、どうしても、
 つじつまが、合わない!!」
…ボツですね。しょうがない。

ある程度、糸が「ほどけてくると」
頭の中の映像を、整理して、
一回「シーン」を再現してみて、
検討してみます。
…書けそうか?いけるか?

ここまで来て、
やっと『書ける』訳です。
あたしは、そんな感じです。

これが、不思議なものでして、
糸が「整理された状態で」
現れることも、ある。
以前書いた、
卒業式の日の、ベンチの話。
あれはー…
あのまんま、あたしの頭の中に、
『降って、来た』
あれは、ほとんど、手を入れていない。
「結び方」さえ、考えれば、
あっさり書けた…
そんな形のも、あります。

…狙うと、書けないんだよね。
あたし最近、そう思う。
キャラクターが浮かんだら、
頭の中で「遊ばせておいて」
どうだろうなー…はっ!
『ちょっ!そのまま、止まって!!』
これなら…行けるかも。
最近は、そんな感じです。

キャラクターの「自由さ」が
失われるのが、怖くて、
「メモを取ることすら、怖い」
そういう時、けっこう、あります。
「書けない」理由も、そう。
書いてしまうと、
「かたちが、できてしまう」から。
その、かたちに、
「とらわれる」
「ひっぱられる」
結構、これ、怖いです。

逆に、かたちが、できると、
「そのかたちを、
 うまく、生かせないか」
だから、つい最近の、
「輝」のはなしは、
組み直すことを、考えてる。
視点を整理して、
「小学校での情景を、描けるように」
考え直しかな、って思ってる。

『偶然でしか、書けない、書き手』
に、なってしまうけど、
「それで…いいんじゃ、ないかな」
あたし最近、そう思ってる。
あたしの「書き方」自体が、
どうやら、そうなっている、らしい。
もう、なんだろ。
『力業だけで、組み上げた世界』
それがラスト・ステージであり、
無縁の駅だと、思ってる。
あれ、ねー。痛いんだけど、ねー。
あれで「大怪我しておいた、から」
力を抜かなきゃ、いけないんだ。
そう「意識できるように、なった」
だから、あの二作品は、
『必要だった』…そう、思ってます。
「原稿用紙五枚縛り」あたりで、
やっと。
「三人に…
 勝手に、動いてもらえばいいんだ」
そう思えるようになった、感じです。

今後のことは…わかんない。
『わかんない』で、
いいんじゃないか。
最近はそう思えるように、
なってきました。
『設定作りばっかりに、
 目を向けるのを、やめた』
この方が、「大切」なような、
気がしてます。

人間自体が、
「わからない、もの」だから、
それを、描くんだからー…
『そりゃ。
 わかんないん、だよ』
最近はそう、思ってます。

…しかし。
『幸の話は、あきらめて、いない』
あの、唯一無二の世界は、
「何とかして」作り上げて、みたい。
『すっごい苦労を、するけどね』
唯一無二だからこそ、
「バックグラウンドを、
 しっかり、させたい」
…それには、「学ばなくては」
いけないこと、たくさん、あります。
でも、『挑戦して、みたい』
いつできるかは、わからないけど。

身勝手な、ものだね。ものかきって。
(367号)

【放談住宅 2021/04/07】
おやすみ、です。
のんびり、です。

いや…ゆうべの、アレは、
本気で眠剤飲んだあと、
「もしかして…かたちに、なる?」
と思い、書いてみたもの、です。
どうせ寝たあと、やすみだー!
と、いうことで。

まー、半分以上は、
一太郎先生が書いたような、気がします。
文章校正機能で、
日本語的な誤りは、
2~3箇所、だったけどね。
誤字脱字の類。

ふと、ね。
絵やイラストとは、
手法自体、違うんじゃないか…
と言う気が、してきました。
絵は、描きたいのであれば、
部屋の情景も、緻密に、緻密に、
描いても、成立する。

しかし、小説の場合。
『書きすぎると、焦点がぼやける』
片っ端から、部屋の説明してたら、
肝心の人物が、「薄まる」でしょ?
やっぱ『引き算』だよなーと、思った。

なので、家や部屋の情景は、
『読者の方に、勝手に想像して頂く』
あ。だから逆に、
「想像の邪魔になるような、要素」は
書いちゃ、いけないんだ。
あ…案外、いい発見かも。

まぁ、輝は、小学3年生あたりを
考えてる。
おねえちゃんはー。
「小学校は、卒業した」あたりで
とりあえず、ぼやかしておこうかと
思ってる。
話が成立するのであれば。
いやー、輝とあんまり、年齢差つけると、
『これ着たおねえちゃん、好きだったなー』
が、成立しなくなることに、
ふと、気づいたので。

しかし。しかし。
「やっちまった」ことが、ひとつ。
『輝って名前、
 未発表作品で、使ってたぁーっ!』
未発表作品の方は、名前考え直して、
置換でがーっと、名前変えちゃおう。

あとねぇ…
「視点を誤った」感が、あり。
姉視点のままだと、ね。
「小学校での、輝の情景」が
描けないのよ。
第三者視点を、使わないと。
どうなんだろう。
・おねえちゃんが、いるときは、
 おねえちゃん視点
・おねえちゃんが、いないときは、
 第三者視点
これ、「切り替えちゃって」
大丈夫かねぇ…
…まるっと、書き直す権利は、
あたしの手元に、あるけどね。

ま!
どうせ、「しろうと」だしっ!
うまい訳じゃ、ないしっ!
好き勝手に、書いちゃえ!
…と言う気が、してる。
(363号)

【放談住宅 2021/03/18】
ミシン、いじってたら、ね?
『手芸部モノ』というのを、
思いついたんさ。
がんばって、名前決めて、
書いたんだけど、ね…

「き、決まらねぇ…」

リアル手芸部だったの、
小学生だからさー!
情景がはっきりと、浮かばないの!
イメージがぼやけてるから、
文章が、ぱりっと決まらないの。

今回、一つ挑戦してみることに。
『男女なんだけど、
 「男女関係じゃ、ない」』
お互い、
同じ手芸部員としてしか、
見てないってこと。
だから、「なるべーく」
男の子「らしい」しゃべり方に
しては、みたものの。
…男言葉、年単位で使ってないから、
忘れちゃった!!
女の子の会話より、
男の子の会話の方が、
「自信、ないです…」
案外、会社の人たちとか、
何も言って、こないよー?
あたしの口調に、ついては。
「まさに、こんな感じで、
 しゃべってます」
ま。気づかれたら、気づかれたで。

ダメだねー。
折を見て原稿用紙に、向かわないと。
ルールとか、忘れる、忘れる。
…そして一太郎先生に、怒られる。
ただ…なんだろ。
文章校正モードに入っている時は、
「ストーリーには、
 入っていかないので」
いい感じに、自分が文章から、離れるね。
やっぱ一太郎、道具として、素晴らしい。

新しい平面が、開けるか!!
…あっさり、ぽしゃる、か。
吹奏楽部モノと、
目線がまったく、違うね。
吹奏楽部が、
「みんなで結果を、つくりあげる」
と、したら。
手芸部は…
「ひとりひとりが、
 自分の作品を、つくりあげる」
思えば、手芸部って、
不思議な部、だね。
いや、吹奏楽部が、変わってるの?
確かに吹奏楽部、
文化部だけど、文化部っぽく、
ないと、言うか…ね。

しかし。一回、書き始めると。
「愛おしさが、出てきてしまう」
ぽしゃるには…なんか、かわいそう。

『どう、ブラッシュアップ、したものか』
ゆっくり、考えましょ。

そして、なにより。
『手芸の手法の描写に、
 まったく自身が、ないーっ!!』
かなり自己流だからね、あたしの手芸。

そのへんも、含めて。
週末、もう一回、向き合おうかな…
(345号)

寝たの。寝たの。
…起きちゃった、の。
胸、痛い。
本気で予約外で
精神科、行ってこようかな…
母親がうるさいんだよー

と言う訳で、
今夜は、あたしの
「文句シリーズ」
ケチつけられるだけ、
ケチつけてやる。
がるるるるぅぅぅぅ

最近、ネットニュースで、
『ネタ切れなのか、
 知らないけれども』
難読漢字、
「この漢字、読めますか?」
という、記事がしょっちゅう、あるけど。

『読めなくて、
 まったく、かまいません』

常用漢字が読めれば、充分です。

新聞の場合、
「使って良い、常用漢字」が
定められており、
各社、「用字用語集」という
表記を統一するための本があるので、
難読漢字の「出番が、ありません」
どうしても、記事として必要ならば、
解説が必ず、つくはずです。
…お隣ー!そこは得意だろー!

で、小説の場合。
難読漢字を使うのは、
『書き手の勝手な、わがままなので』
この漢字、読めない!と、
作者にがんがん、
文句言って、いいと思います。

…いや、本気で悩むんだ。
この単語…使っていいかなぁ?
類義語、類義語、、、
「語感が欲しいんだよなぁ」
元の意味的にー
(古語辞典と漢和辞典、登場)
や、やめよう。
ここ、段落ごと、
表現変える検討しよう。
今書いているのは、高校生。
この表現、おかしい。
絶対、おかしい。

…ま。
「なろう系」だと、
わざと難読漢字使ってるのが
鼻につくこと、ありますが。
…中二病の一種でしょ。
『読者の方に、
 その場面の情景が
 想像できないので、あれば。
 それは作者の検討不足!!』
…と、あたしは思います。
「一太郎で、文章校正かけたら、
 アレ、引っかかんないの?」
わかんないー!というか、
アマチュア作家で、
一太郎使っている人、
どれだけ、いるんだー?

中二病、ねぇ…
あたし、リアル中二の時は、
中学受験から解放されて、
「ぽけ゜ーーーーーーーー」
っとしていた時期なので、
正直、そこまで、
頭使いたく、なかった。
その上、職員室は、
本当に、毎日出入りする場所だし。
…中二病にかかる
要素がなかったんだ、うん。

ほんと、ねぇ?
『読んで頂いて、
 想像して頂けないと、
 小説の意味、ないんです』

漱石や太宰あたりを、
旧仮名旧漢字で
読みたいというのであれば…
おこのみ、で。
個人的には、
漱石や太宰には、
あんまり魅力を感じない…
という、
『作家として、
 それ、どうなの!!』
と言う書き手です、あたしは。

あのねぇ…
またバカが、舞い上がるよ?
小説って、文章に対する
感性があって、
きちんと検討する、能力があり、
そして、そもそも。
「書いている時に、
 きちんと読者目線に
 なって、いれば」
…あんまり、作家自身が
読んだ小説の数ってのは、
小説の完成度には、
関係ないんじゃ、ないのか?
と、あたしは思ってます。

『目指せ!
 小説読んでない、作家!』
あ、その話じゃなかった。

『難読漢字は、
 読めなくて、いいです!!』

…単なる意地悪だ、アレは。

さぁ!しばらくは
「アサヒビール吾妻橋工場の
 煙突から出る、煙のように」
バカだから、たっかーいところに
登りますよ???
…なくなって、久しいね。
幼い頃、あの煙突からの煙を見て、
「風がないと、
 煙があそこで、止まるんだー」
「風が吹いてるから、
 煙がそっちに、流れるんだー」
と、思っていたっけ。

「人前で、話す」と、
「書く」は、なんか
似ていると、思うんですよ。
どちらも…
「筋道立てないと、いけないからね」

小学校の頃も、
結構人前、それこそ全校の児童の前で
話してるはずなんだけど、ねぇ…
「わすれた。」
やってるはず。児童会副会長だから。
「二番手って、いいよね」とか
思った記憶が、あるなぁ。
…なんか、すでに、
「大人」を通り越して、
「老成」しているような、気がするけど。
「学芸会の、劇」は、あれは
筋書き通りだから、ねぇ?
『堂々と、主役級を演じるには、
 度胸が必要だけど、ね』
小梅小学校は、年変わりで、
「学芸会の年」「展覧会の年」が
入れ替わるので、3回やったけど、
…3回とも主役級だった、はず。
主役級というか、5年生か6年生の
学芸会の時は、主役だったはず。
「緊張、しなかったね」
むしろこう、自分が世界に入りきって…
『どこからでも!見ろっ!!』
…そりゃ「うじうじ」した
性格にはならないわけだ。うん。

アレだよ。アレアレ。
「中学校の、学年朝礼」
学級委員持ち回りで、
生活指導というか、
生活向上的なことを、
学年全員の前で、話すんだけど。
「他の学級委員は」
みんな真面目だから、
前々日あたりから、原稿書いて、
きちんと準備、するのね。
「あたしの、場合は」
学年朝礼の「当日の、朝」に、
学年朝礼のこと、思い出す。
「あ…何か、話さなきゃ」
んー。コレで、行けるか。うん。
そして、マイクを持ったら、
「完全に、アドリブです」
あれ、
ちゃんと学年全員の様子を
見てないと、ダメなのよ。
「どれだけ興味持ってもらえてるか
 わからないと、
 話の方向を、変えられないから」
実はね。…時効だよね。
「毎回、
 どれだけウケが取れるか」
密かに挑戦してた。
結構ねぇ。ウケ取れた。うん。
「体育館を、
 笑いの渦に、している」
すっげー満足感、あったよね。
ま。終わった後。
「氷室は、いい加減、
 原稿書いて話すことを、覚えろ!」
って、先生に怒られるんだけどね。
(小学校の頃は、全校の前で話す時は、
 ちゃんと原稿書いてたから、
 いいじゃんかー…)
などと、思ってました。

そして、「あの」生徒会役員選挙の、
選挙演説ですよ。
実は、
『何かは、やってやる』と思ってた。
演説会まで、は。
先生を「欺く」ために、
事前に「中学生らしい」原稿を
渡しておいたの。
チェックがとおった…
「いただいた。」と、思った。
実はいくつか、考えていたんだけど。
…やっぱり、「選挙」だよね。
『選挙カーの上からの演説を、
 中学生が、やってやるっ!』
みんな、「まさか、そう出る」とは
思ってないからね。
完全に、体育館を、
「爆笑の渦」に、したよね。
…先生はあきれて、
何も言いませんでした。
「副作用」で、やる気がないのに、
トップ当選しちゃったけど、ね。

『ちゃんと、話している間、
 こちらに意識を向けてもらうためには』
きちんと筋道があって、
言葉が、適切であって、
「うまく脱線して、ウケ取って」
最後はきちんと、結ばなければ、
「次も、聞きたい」と、
思ってもらうことは、できない。
なので、中学一年の時の
学年朝礼は、アレは…
「段々と、みんなが何かを、
 期待してるんだよ」
期待されたら、そりゃ答えなきゃ。

「これができるようになったの、
 …何がきっかけだろ?」と
昔を思い出してみたら。
『図書館で借りた、
 さだまさしの、「噺歌集」だ…』
さだのステージは、
「トーク」と「歌」の、
両方がないと、成立しないからね。
「トークだけでも、成立するからなぁ…」
話が長くなっちゃって、
あわてて何曲も一気に歌ったとか、
あったらしい、ですよ?
なので、さだの「ライブのレコード」は…
『ステージトークも入っていないと、
 いけないんです』
グレープ時代を振り返り、
現在に至るまで、
「歌とトークが、ぜんぶ、入ってる」
それが「噺歌集」
…レコード10枚以上入ってたよね。アレ。
何回も借りて、聞いているうちに。
「観客の雰囲気を読んで、
 観客の意識をつかんで、
 その場で話を、組み立てる、とは」
知らず知らずに、学んだんだよね。
「噺歌集」で。
で、「話す機会」がある度に、
「やって、みると」
見事に、ウケが取れたんだよね。

だから、「書く」時も。
「読者はこう、感じるだろう」
常に意識していないと
いけないと、あたしは思います。
残念ながら、あたしの「熱量」は、
文字では、伝わらないので。
そして、読者の方の、
雰囲気も、読めませんので。
…ウケは、取れません。はい。

『読んで頂くという、意識は。
 書き始めの頃から、持ってたよね』
読んで頂けなければ…
「意味、ないっしょ?」

そして、ここの記事は。
「日々の、トレーニング」です。
あたしは、「文字」しか、
手段を持っていません。
そこで、どれだけ皆様に、
満足して、頂けるか。
『自己満足でも、いいから。
 きちんと読み手の方を、向く』

ま。「やりすぎ」な所も、あり。
『うまく結べなくて、
 10分くらい、悩んでる』
時折、あります。はい。

『読んで「頂く」という、意識』
あの学年朝礼で、
『聞いてもらうために』
舞台から俯瞰して、雰囲気をつかむ。

『同じようなことだと、思うんです』

どちらも、伝わらなければ、
「意味がない」ですから、ね。

『村上春樹クサイーっ!!』
そりゃー、村上春樹を読んだ
すぐ後に書いたんだから…とは言うものの。
「かまわない。」
「悪くない、悪くない。」
コレが文中に突然出てくるあたり、
村上春樹クサイですね。はい。

『これ、久しぶりに、
 女の子たちの世界を書かないと、
 抜けられないんじゃないか?』

そもそも、「抜けられてるのか?」という
疑問がありますが。はい。

そしてねぇ。実は。
『ATOKに大辞林を接続させる』
ことが、できるのよ。結構高いけど。
けど、ねぇ。
あえて「画面から外に出る手段」として、
辞書の類は、同じ画面にあっちゃ、
いけないと思うの。
作品から遠くへ行くのが、難しいんだから。
「せめて」辞書引く時は、
画面から離れようよ…と、ね。
なので、言葉に迷った時は、
「デジタル大辞泉が入った
 スマホを持つために」
身体を動かし、視線を画面から外すと
いうこと、大切な気がします。
「自分の言葉の泉で、溺れちゃうからね」
しかも、溺れたことに気づかないという、
厄介な泉だよ。うん。

あー、でもね。
LibreOffice Writerで書いていた時に比べて、
なんだろう。「没頭感」が、
ものすごく大きくなった。
LibreOffice Writerだと、
こまかーいところ、ひっかかるし、
「日本語の文章校正機能」が、ないから、
折々視線を戻して、
間違いを見つけなければいけないし。
一太郎だと、ある程度の日本語の間違いは、
一太郎とATOKが指摘してくれるから、
書いている時点での間違いが減るし。
文章校正機能をかけると、
「自分が気がつかないところまで」
機械的に見つけてくれるからね。うん。
「書く時は、
 書くことだけ、考えていればいい」
日本語扱うには、
やっぱり『日本製』が、いいんだろうね。

ま。
『一太郎で小説書いたら、
 どうなんだろうね?』
的なものなので、
ほんとうに意味はないです。
ないったら、ないです。

『ATOK、導入したー!』
…と、します。
そして、
「カタカナ変換は、
 無変換キーで、やっていた」
という、「ごく一部の、方」

…MS-IMEだと、
「無変換一回押して、カタカナ変換」
…ATOKだと、
「無変換二回押して、カタカナ変換」
どうしても、会社とかで、
MS-IMEとの「縁」が、切れない場合。
『イラッとする、原因に、なるかも』

なので、「カタカナ変換」は。

全角カタカナへは、『Ctrl + I』
半角カタカナへは、『Ctrl + O』

この癖をつけてしまうと、いいかも。
これであれば、
ATOKとMS-IMEで、挙動は変わりません。

個人的には、かな漢字変換で、
ファンクションキーを使うの、
キライなんだよねー。
『遠い、から』
あと、頭が、
「大型コンピュータの、エディタ」
モードに、切り替わってしまうので。
スクロールしようとして、
F7・F8を押してしまって…
「5秒くらい、頭がフリーズする」
…大型汎用機じゃ、ねぇよ!
PFDでもISPFでも、ねぇよ!

COBOLとWebページ作成を
同時にやってた時、さー。
「Macでもつい、F7・F8押しちゃう」
…しばし、フリーズ。なぜ、動かん?
「だからっ!ちがうって!!」

「そういう理由」で、
あたしはファンクションキーは、
「めったに、押しません」

…いやね。
…いや、その、ね。
『MS-IMEが、
 あまりにバカ過ぎるんだぁーっ!!』
Windows10 20H2?ひとつ前?
そこでMS-IMEが、変わってるのね。
キーバインド変更できる要素が、
かなーり少なくなったりと、
実は。劣化した。
で、一番劣化したのは…
『辞書が、バカ過ぎる』
単純な。ほんとうに単純な変換をしてるじゃん?
「なんでその漢字が、
 変換候補の3文字目…ではなく、
 変換候補の3段目なんかに、いるんだ?」
だから、信用ならなくて、さー。
MS-IMEの候補どおりに変換すると、
「言葉によっては、誤用してしまう恐れ、大」
こまったーっ!

実は。1月あたりにも検討してました、一太郎。
が。「2月に最新の、一太郎2021が、出る」
ならー、待ちましょう、と。
で、発売されました、一太郎2021。
そして。
「あたしは、はるか昔に、一太郎を買っている」
そのユーザ登録が生きているので、
バージョンアップ版を買うことができるのよ。

若干、悩んだ。
「一太郎単体だけのを買うか、
 一太郎プラチナに、するか」
結構、プラチナだと、高くなる。
けど…Excel互換・PowerPoint互換の
ソフトウェアも入ってくるので、
「Microsoft Office代わりには、なる」
しかも。新明解国語辞典もついてくる。
「新明解っつーのが、
 また、ビミョウだなー…」

では、『試用』してみましょう、と。
単体版の30日試用版があるんですね。
ATOKは別途ダウンロードだけど…
ま、がんばれば、いいか。
インストールして設定して…っと。

『さすがATOK、あたま、いいっ!』
なんだろ。キーボードを打つだけで、
変換に関しては、ほとんど頭、使わない。
ATOKが勝手に考えてくれる感じ。
で…時代が、変わったね。
『キーの入力方式が、
 ATOK独自ではなく、
 最初からMS-IME互換に、できる』
確かに。ATOK独自の入力方式は、
若干コツが必要だから、理にかなってる。
で。あたしが必ず入れる設定、
「変換キーをIMEオン、無変換キーをIMEオフ」
これは、できた。よしよし。

『じゃ、行けっ!一太郎!!』

すばらしい。
「最初から400字詰め原稿用紙の設定が、ある」
一太郎だから当然、禁則処理はまとも。
多少書いてみて、印刷してみましたが、
「なんの問題も、なし」
文字数計算もしっかり、やってくれます。
そして、軽くビジネス文も起こしてみましたが、
あたしはESCキーのメニューを、覚えているので、
「あっ!」という間に、できあがりました。

…おいくら?
『一太郎単体、ダウンロード版で、
 バージョンアップ版でしたら、…6,600円』
そんなんで、いいの?買う!買いますっ!!
おこづかいをひねれば、
7千円くらいは、なんとかなるので。
ダウンロード版で、よろしければ。
・ジャストシステム製品か、
 Microsoft Officeを持っている
 →優待版、一太郎単体で8,140円
・残念ながら、優待版が買えない
 →通常版、一太郎単体で17,600円。
ソフトウェアの「でき」と、しては。
あたしとしては、通常版の値段を出しても、
納得…と、思いました。
「ま、権利があるので、
 買うのはバージョンアップ版、だけどね」

というわけで。
試用版をぜんぶ、アンインストールして、
再起動をかけて。
ダウンロード購入をして、
インストールしました。
『このとき、2点注意』
・ダウンロードしたファイルは、確実に、残す
・シリアルナンバーと登録キーが
 書かれているメールは、印刷して残す
ダウンロードが10回まで、なのよ。
ジャストシステムに泣きつけば、
なんとかなる、らしいけど…
面倒を起こさない方が、いいじゃん。
「キーの再発行」も、確か申込制なので、
やっぱり、面倒を起こさない方が、いいので。

・個人で、使用は1名だけ、同時使用しない
であれば、
3台までインストールして、いいらしい。
あとで、
ノートPCにも、インストールしておこうっと。

「小説書くなら、やっぱり一太郎、かも」

昨日、あのあと、
うだうだ調べていたら。
「電子辞書に、案外、
 スーパー大辞林が
 入ってるんだ」
精選版 日本国語大辞典が
入っているものも、ある。
『が、高い』
精選版 日本国語大辞典を
選んでしまうと…
「5万円くらい、かかる」
それはーっ!!
まぁ、ジーニアスとか、
それこそロングマンとか、
英語の部分もしっかりするので、
そりゃ、そうか。とは、
思った、ものの。

で、今日帰りに寄り道して、
「シャープの、
 スーパー大辞林が入っている、
 一番、安いの」を、
実際に店頭でいじくってみました。
…画面がモノクロで、かつ
「荒い」ので、
『引きづれぇ…』
見送りました。はい。

その後、日本橋の丸善へ行って、
実際に紙の辞書を引いてみました。
広辞苑…「あっさり、過ぎない?」
何ていうか、「コクが、ない」
『辞書に、コクぅ?』とか
言われそうだけど。
普段『明鏡』を使っていると、
そう、感じるのよ。

あ!明鏡の第三版が出てるっ!
…しかし。
「なんで、ゴシック主体に、したしっ!」
読みづらいっての。
二色刷りにしたのは、素晴らしいけど。
…明鏡第二版、大切に、しよ。
…何も買わずに、丸善を去りました。

『うー…』
実は。『デジタル大辞泉』のアプリって
かなり、安い。2,080円。
『安すぎねぇ?』タバコ4箱分程度。
普段持って歩いているiPhoneより、
「おうちスマホ」の、Android、
HUAWEI P10Liteに
突っ込みたいなぁ…あるの?
『あった。』
えーっと。決済手段を、
さっきおこづかいを入れてきた、
ソニー銀行のVISAデビットにして、っと。
『いざ、購入っ!!』
…Googleアカウントに結び付いたので、
Androidを乗り換えても、大丈夫なはず。

『これは、これでー…アリだ』
「本文検索」が、できるのよ。
どーしようも、なくなったときに、
これ、便利だよね。
「部分検索」も、便利だよね。
これは、紙にはできないこと。
で、関連項目があれば、
「タップすれば、飛べる」うわすごい。
で、懸念事項だった、
「紙のように項目間が移動できるか」
…できる。
ナビバーONにして、
項目送りをタップすると、
隣にどんどん、進んでいける。
で…感動したのが。
「カラー液晶だから」
『日本の、色』が、出る。
唐紅を引くと、「実際の色も、出る」
まぁ…Androidなので、
びみょー…なところも、ある。
「見出しの表示が、若干切れている」
指でスクロールすれば、問題ないけどね。

『2,080円で、いいんスか、ほんとうに』
まぁ…アプリとデータの更新自体が、
2020年4月で、止まってるっぽい。
ただ…紙の大辞泉は、
2012年で止まってるので、
「それに比べれば、まとも」

正直、「引きやすく」なったんでね。
…紙の中型国語辞典は、デカいでしょ?
『ちょいちょい、引けると、思うんだ』
今回は、
「安さに引かれて」正解だった、かも。

読者の、皆様。
ひそかに、悩んでいるんです。
誰にも、相談できないんです。
「バレンタイン、どうしよう…」
『嘘つけーっ!!』
…悪かった、ね。

おほん。
『「広辞苑を除いた」中型国語辞典』
…なにが、いいと、思う?
広辞苑は、絶対に、嫌ですっ!!
…あのクソジジイを、思い出すから。
…トラウマに、触れるから。

いやねぇ。最近、多いのよ。
「あれ?この言葉…
 送り仮名っていうか、
 どう、続けるんだっけ???」
『明鏡』…用例、載ってない。
『用字用語ブック』…載ってない。
「小型国語辞典の、限界に、近づいたか」
お金はあるけど、「場所が、ない」
部屋の反対に置くでも、
なんでも、するから!!
『いっそ、日本国語大辞典?』
21万は!出せない!!
…でも、いつか、
必要になりそうな、気がする。

え!広辞苑の、意味の並び順って、
「語源に近い順」なのぉーっ!!
…小説書くには、向かないね。
例えば、「王道」を、引くと。
1.儒家の理想とした政治思想で、
  古代の王者が履行した
  仁徳を本とする政道をいう。
2.最も正当な道・方法。
使いづれぇぇぇぇ…
あのクソジジイ、絶対に使ってねぇな。
「神棚に飾って、拝んでるんだよ」
チェンジ!!…選ばないけど、ね。

大辞泉はー…
『横組みぃ?』がく。
引く「向き」が、明鏡はもとより、
古語辞典や漢和辞典と変わっちゃうから、
『これはこれで、使いづらい』

『なんだ。
 大辞林しか、残ってないじゃないか』
むーーーーー。。。。。

あっ!
「三省堂の、てにをは辞典!!」
コロケーションに悩みまくってんだ、
最近は!!
相打ち…どう、続けるんだっけ。
相打ち「となる」っ!
『これは本気で、ありがたい』

方針:
『てにをは辞典を、軸に』
大辞林に手を出すか、悩みましょう。
「君しか、いないみたいだから」

…アプリは、ナシです。
マジで、ナシです。
「スマホでぽちぽち、
 やって、られるかぁーっ!!」
紙の一覧性、やっぱり、ありがたい。

しーらない けーれーどー♪

男性には体力的について行けなくて、
劣等感しかない、と。
野卑な男からは見下されて、
マウントされると。ほうほう。
で。
女性からは、異性として礼儀上警戒され、
「女子のヒミツ」にも、
入れてもらえなかった。
なるほど、ねー…

純粋に。
 『コミュニケーション
  能力が低い』

 だけで、ねぇの??」
文章が、鼻につくよ?
他人を小馬鹿に、していること。
やたらと、難しい言葉を
使いたがる「割には」
文章の構成が崩れていて、
実に、読みづらいし。
『誰かに読んで頂くための』
文章とは、思えないね。うん。

『それでもちょっと
 堅い話がしたいですね。
 大上段に振りかぶります(苦笑)』
これ、1行目に書いてるけど、さ。
冒頭の「それでも」は、
一体、なにを、指すの?
「それでも」って接続詞だよね?
いったい何を、つないでいるの?
そして最後の苦笑は、
「なぜ、苦笑いしているの?」
伝わって来ねぇなぁ。わかんない。
『一行目から、
 文章構成が、行方不明か』
そして、
「シンキロウ」とは、何者だよ。
森喜朗、「モリヨシロウ」の
揶揄なの?
わかんねぇよ。説明されないと。
上手く言った、つもりだろうけど。
これこそ『自己満足』だよね。
…誰かに何かを伝えようとしている
様子が全く、ないからね。

『あんたの文章は。
 難しい言葉をわざと使ったり、などの
 自己満足が強すぎて、読みづらい上に。
 人を小馬鹿にしている態度が、
 透けて読めるから。
 余計に「読みづらい」』
そんな文章を書く人が、さぁ。
『言論の自由と責任』だなんて。
悪い冗談なんでしょ?ね?

じゃ。
『自分の言説への責任』
きちんと、取ってよ。
あたし、そっちのコメント欄にまで、
書き込みに、行ったよなぁ?
筋道立てて、
きちんと苦情を、言ったよなぁ?
『他人の責任は、追及する。
 自分の責任は、知らん顔。』
これを『無責任』と言わずして、
なんと、言うよ。教えてくださいよ。

ま。どうせ。
また『逃げる』んだろうけど、ね。

風呂というものは、ですね。
『なにかを、おもいつく』
ところなんじゃないかと、
あたし最近、思うんです。
「弁天様の噺」も、
風呂で、思いついたし。
…風呂でまた、思いました。

子ども。幼稚園とか、小学生。
『突拍子もないことを、
 おもいついて、やっちゃう』
でしょ?
あ!そう言えば。
「小梅小学校の、
 体育館下の、ピロティ」に、
遊び用のタイヤがあったでしょ?
「授業中に、
 新しい乗り方を、思いついて」
休み時間になって、
駆けだしていって、
タイヤ確保したの、ね。
乗りました!やりました!
『そのまま転んで、
 タイヤにひかれた』
大爆笑されたけど、さ。
「嬉しかったよ、ね」
こんなこと、思いつかないだろ!
ダメだったんだぞっ!…って。

時は下りまして、『現在』です。
「おはなし」を、
考えていると、します。
頭をフル回転させて…
『バカなことを、考える』
誰も思いつかない、こと…
あたらしい!こと…
なんだろう…
常識で考えちゃ、ダメだ。
『バカになり切れ、バカに』
なるんじゃ、ない。
『バカそのもので、ないとっ!』
…は。
・毛沢東語録が、ある
コレ…か…?
吹奏楽部を舞台に、
考えてたんだよ、ね。
『合わせたら、どうだ?』
むー。いまいち。
『行くところまで!
 行って!しまえっ!!』
…そうです。「幸の話」です。
最初、「真子を引っかける」時。
幸はあくまで、
『常識人でないと、いけなかった』
なぜなら。
『真子と岡山さんを、
 巻き込む、ためには』
心を読まれては、いけないから。
そして、いざ『学園革命』です。
そこでは…
「幸の黒さ」と、「幸の冷酷さ」
見事に!思いついた上に…
『形にまで、できた』
それ、見方を変えると、ですね。
『なんで、そんな話を、思いついた』
と、言うことができると、思うんです。

この二つ。
『突拍子もないことを、
 思いついて、やっちゃう』
『なんでそんな話を思いついた、と
 言われるほどの、世界を。
 思いついて、書いちゃう』
実はこの二つは、
『つながっているのでは、ないか』
と、思いました。

つまり。両方とも。
『「常識」という輪の中から、
 どれだけ遠くへ、飛び出せるか』
結果。
自分が乗ってたタイヤに、ひかれた?
「笑いが取れたから、いいじゃん!」
とんでもない話が、できちゃった?
「ものすごい!オリジナルじゃん!!」

風呂で考えた、結果。
『子どもの時に、
 「きちんとバカを、やっていないと」』
新しいもの。
誰も、思いつかないもの。
これを、作り出して、
「形にまで、持って行くこと」は、
できないのでは、ないか…

つまり。
『心から、バカに、なる』
いや。
『自分すべてが、バカに、なる』
これは、ちゃんと、
「子どもの時に、できて、いないと」
できないのでは、ないか。

そう。
笑われても、いい。
むしろ。
『自分から、笑われに、いく』
そうやって、
『バカに、なる、こと』
これを、「堂々と、できるのは」
子どもと、ものかきの、特権ではないか。

心は、いつまでも。
「なーんにも、考えていない、
 子どもの頃の、あの頃」に
戻れないと、
いけないんじゃ、ないかなー…などと、
『風呂で、思いました』

…子どもの頃に、できなかった?
大丈夫です。
『今』この瞬間に、
『バカになっちゃえば、いいんです』

という、
真面目な、『バカな話』でしたっ!!

【放談住宅 2021/01/27】
いやー。
遅くなった理由が、ねー。

・なんかの拍子に、出てきた子
と、
・ちょい前に思いついた、子
この二人ね。

・なんかの拍子側が、小学校と中学校。
・ちょい前側が、高校。
「つながるの?これ?」

いやーーーーーーー…
ちょっと考えている、
バックグラウンドが違うんだよねー。
そこの整合性は、合わせらんない。
その上。
『小学校から高校まで、
 延々描くの、キツいだろう』

なんか方法はないかと、考えていましたら、
この時間に、なっちゃいました。
「こまったー!」

平行して書くのは、「混ざりそうで」
書き手としては、避けたいんだよねー。
視点の移動が、追い付かないって。

かと言って…直線に並べるとしても、
小学校・中学校・高校。
6・3・3…で、「54年!」
乗算してどうする。加算だよ。
6・3・3…で、「12年!」
桁が減らなかった。当たり前だけど。
えー…小学校3年あたりで始めたとして、
3年減らせてー…「9年?」
いや。きっつい。四季がキツい。

どっちのお話も、初挑戦になることが
あるのでー…
『意欲は、ある』
しかし、一直線も、同時並行も、
『現実的では、ない』
いつぞやのように、練習仮組として、
一部メンバーだけ抜き出して、
いざ、と言う時に世界へ戻す手法…
「ソレ、御崎高校で失敗してないか?」

まぁ、まだ「ぽやん」としていて、
導入部分が固まっていないので。
先に導入が固まった方を…なのかなぁ。
う゛ー。夏歩の話で思ったんだけど、
「その場面まで、引っ張るために」
描き続けるって結構キツいんだよ、なー…

まぁ、二兎を追ってますからね。現状。
ここを、どうするか。
『新快速乗ったらエエんちゃうの?』
…は?

『京都・大阪・神戸 三都物語!』
ソレかーっ!
何の解決にも、なってないー!

しくしく。
本気で何の解決にも、なってない。
とりあえず…寝ます。
(301号)

【放談住宅 2021/01/26】
『記念になるかどうか、知りませんが』
…早速弱気になっております。

まぁ…ここが、Yahoo!時代を含めて、丸2年以上。
ここが分離独立したきっかけが、
『学園革命が、書けちゃった』
…あわてて分離させたねぇ、あの時は。
そしてあちらは、
すっかり廃墟風味となっております。

「こちょこちょ」的には、実は
書いてたりするんですよ。
「挿入歌」的な感じに、ね。
けど。いざ「挿入」しちゃうと、
『手数が一個、減らないか…?』
あわててNASに押し込んで隠しとく…とか、ね。

やっぱりねぇ、書いていて思うんだけど。
思い描いているシーンの中で、
『描ける』割合は、50%以下だねぇ。
ヘタすると3割台で推移してみたり。
ただ、そこを「足りない」と見て、
「書き過ぎる」と、今度は
「盛りすぎ」か、「説明しすぎ」に
なってしまう気がしてます。個人的には。
書くことは、ある意味では「交点探し」
こっちが書きたい世界を、どう表現するか。
読者様が読んだときに、どう想像して頂けるか。
表から見たり、裏から見たり、
紙に打ち出したりして、『う゛ーーー。』
「そういうものじゃないか」と、
最近感じつつあります。

実は、そうとうに難しい描き方は、
「毒にも薬にもならず、印象にも残らない」
ではないか…と、最近感じてます。
印象に残らない…つまり、
「さらっと読んで、さらっと読み終わった」
違和感も、不自然さも、感じなかった。
これは、書き手側に立つと、
「そうとう、むずかしい」と、感じます。

こないだ、かな。
「シーンの転換」的な場所を、書いてたのね。
ただ…そのシーンへ向かっていることは、
読んでいけば、だいたい想像がつくので、
『効果音だけで、
 あえて余計なことは、書かない方が
 いいんじゃないか』
確かに、シーンを構成する
『要素』というものは、あるんだけど。
地域差であるとか、
それこそ、読者様の経験の違いなどで、
『想像する内容』は、相当に変わるだろう…
「では、そこに関しては、
 読者様が想像した内容のままで」
キャラクターが動いてくれれば、
充分なのではないか。と、思いました。

そこらへんで、「歌詞との違い」を感じます。
歌詞であれば、それこそ3分程度という
時間の制約の中に、
「土台からすべて組み上げる」と、するならば。
「小説」であれば、キャラクターの個性や足跡。
ストーリー自体が歩んで行き、
帰結するであろう世界。
そこを、うまーく使うことで、
「引き算、引き算のくりかえし」で、
組み上げることもできるよね…
と、最近感じてます。

うーん…なので、丸2年の間で、つかんだことは、
『いかに、引けるか』なんじゃないかなぁ…
「良くある、アマチュア小説の冒頭部分」
・キャラクターが動きます
・名前から属性から、しばらく説明が続く
・別のキャラクターが動きます
・また説明が…
だと、どうも「導入」としては…疲れないかい?
『なので、いっそ、噺を書いた』
江戸落語ならば、
いちいち説明するのは「野暮」なので、
「会話の中で、
 そのうちわかってくりゃー、いいよ」
やっぱ『引く』だよね。余計な要素を入れない。
「しかし、設定として入れたいという、欲」
ここもやっぱり、交点さがし…なんだろうね。

ただー…
作品への「選択肢」が増えた分、
『悩むことも、増えました』
目下、「アウトラインをまとめる手法」を
探しています。
ツールであるとか。まとめ方であるとか。
「どうしようか、ねー…」です。

しかし。
ここまで来たこと自体、
奇跡だ、ありがたいことだ、と、思っています。
『仕事と言う現実との、交点探し』という、
勤め人の悲しい事情もありますので。
『けど。あきらめない。』
いつか、形になってくれれば「いいなぁ」

そして、この放談住宅でもって、
「伝える」ということを、トレーニングする。
そうやって、また、しばらく。
続けさせていただければ…と、思います。
(300号)

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