星のかけらの宝箱

Xジェンダー、MtXのブログですがー…最近は、「墨田区民と北関東民ホイホイ」ですー…

カテゴリ: ものかき術

小説書いてるとき、
どーしても、
「着地」できなかったら…

『法話風に
 結んじゃえばいいのか!!』

我ながら、
見事な着眼点!!

…一気に抹香くさくなる上に、
「世俗の煩悩まみれ」と
言われれば、そこまで、だねぇ…

まぁ、
「そういう手もあるよ」と、
メモ帳にでも書いておくか。
A5の白紙は、大量に、ある!!


「何でも貪欲に取り入れる」って
小説書くには、
すごく大切だと、思うよ。
だって、
「ひきだし」の分だけ、
話の展開の幅ができるのだから。

しかし、今夜は
「いろいろ手を出し過ぎて」
頭の中、取っ散らかっているので、
何かまとめるには、向かないなぁ…
(こういう時「こそ」
 なんかネタって取れるの…?
 やっぱわかんないし、
 難しいねぇ…)

「運がいいとか 悪いとか
 人は時々 口にするけど」

『原稿用紙五枚縛り』
あれが、まさかまさか
あそこまで「形になるとは」
あたしが、思ってなかったんだって!!

案外なところだけど、
「締め切り半月前のものかき」と
「保健室と未来」
あの二作だって、
「あそこまで、
 すとん、と行くとは
 思っていなかったの!!」
…まぁ、あれが超えられないとも言うけど。

ただ、やっぱ書いてみて
「…季節…いや、
 日、すら超えられないんじゃないか?」
どうするか…
「設定詰めるっきゃないよね」

ただ…
『縛るのと、設定するのは
 どう、違うんだぁー!』

しくしく。

ただ、あの頃やっぱり
神がかりに近くてねぇ…
自分としての経験値が、
一作一作で、
ものすごく「濃い」のよ。
自分で言うのもナンだけどさ。

なので、自分の中で
「できることと、できないこと」
イメージ浮かべば書けるけど、
「イメージとイメージを、つなげる」
とか、
「根底にある世界観」
とかは、自分にない!と思っているので、
いろいろ、手は出しては見てます。

ただ、
「わかんないよぅ…」
恥かくのはかまわないんだけど、
恥かくための「作品」にまで
持って行けないよぅ…

『やっぱ、煮詰まったので
 今夜はここで、寝ます!』

…「手法」で煮詰まるとは
思ってなかった。
難しいね、やっぱり!!

ま、寝るまでに
軽いネタ思いついたら、
何か記事書くかもだけど…

おやすみ☆

完璧なる思いつきなんだけど。

・教室がある
・席が隣どおし
・休み時間に、
 相手がノート書いていた
『相手の消しゴムが落ちた』

拾ってあげるのか。
じっと、見つめるのか。
笑いだすのか…
端が転んでもなんとやらで。

では、
「拾ってあげる」を
選んだとしよう。
そのまんま行くと、
どちらかと言えば
拾ってあげた子は、
優しい方かな…だけど、
例えば、拾ってもらった方が
「めずらしい。
 雨でも降るの?
 えー、傘持ってきてないって!」
「拾ってあげたのに、
 ひどくないー?」
こう持ってくると、
・言いたいこと言えるくらい
 仲がいい
・拾ってあげた方の子は
 案外、普段はガサツなのかも
と、「色」がついてくるよね。

ただ、これを
「設定として言葉にすると」
案外難しいことでは、ある。
むしろ、
「盛っちゃった方が簡単」
『ガサツだけど、
 心根では優しい子』とかね。

これが、やってみて
「もんのすごく、難しい」
から、A5白紙戦法とか
「なんとか、ならんのか…」
と、あがいているところ。

いや、設定で
『ガサツだけど、
 心根では優しい子』にして
かまわないことなのよ?
ただ…恐らく「縛られる」
設定があるがために、
何かの動きがあるたびに、
そう「動かさないといけない」
…と、書き手が信じ込んでしまっても
おかしくはない。
なぜなら、
「言葉として具現化しているから」

昔書いたことではあるものの、
「表現は平易に、
 描く世界は、ばかでかく!」
これの「交点さがし」って
やっぱり、難しいよねぇ…

「言葉までいかないところを、
 『どうやって書き留めるか』」
延々半年くらい
悩んだっておかしくなーい!

また思いついたことだけど、
「書き手側での
 設定の『破り方』」って
いう手法もあるのかも知れないね。

何か、お人形遊びから
『編み物に近づいてないか?』
一目や二目の目の数え間違いは
あっても何とか編み物にはなるけど、
ふわっとした
ベビーカシミヤのストールのような
世界にしたいとしたら…

『割と、
 どうやっていいのか、
 わかんないねぇ!!』

まぁ、プロの作家でも、
一つの作品に、
数えられるくらいの「穴」は
開いてしまうもの、らしいけどね。

なんつーの(挨拶)

A5を
「縦に置こうか」
「横に置こうか」
ずっと悩んでいるバカです。
縦の方が書きや…うーん、
色々な意味で「幅」と考えれば
横だなぁ…ねぇ。

個人的には。
「書き手が違えば、
 頭の構造が違うので」
プロットやシーンの
まとめ方・出し方は
異なっていていいと思うの。
逆に言えば、
「自分なりの方法が
 見つかるまでが
 一番苦しい」とも
言えるわけで。

例えば
「舞台の時代」
これ、あたしは基本的に
『悩まない』
あくまで、現代「風」
…「風」としたのは、
若干の幅があったほうが、
最初の考え出しとしては
可能性が出てくるから。
例えばね…
主人公がスマホを持てば、
ほぼ「現代」
電話をかけるために
売店でガム買ったら、
「20年くらい前?」
いつにするのか、を
決めるのは…
『小説として固めるまでなら、
 いつでもいい』
ただ、自由なことは
逆に不自由でもある。
「スマホで地図見てた人が、
 電話をかけるために
 10円玉探してたら、
 さすがに、おかしいよね」
あたしがよく
「背骨」とか「芯」とか
言っていることの一端は、そこ。
ぼやーんと浮かんだ世界が
一体、『いつ頃だ』
これは、なにかの時点では
決めなければならないこと。

ただ、発表するまでは
「書き手の勝ち」なので、
舞台設定の時に決めてもいいし、
途中まで書き上がったところで
「やっぱ…年代変える!!」
別にそれでもかまわない。
『ちゃんと、つじつまが合えば』

とは言え、舞台の時代設定は、
「物語の中での人物の動きや思い」
からしたら、重要度が低…
「そこまでもいかないのが、
 小説の楽しいところでもあり、
 苦しいところでもあり」
小道具としてのスマホって
ほんと、恐ろしいよね。
「せめて」2010年から
先でないと、世界が破綻する。
逃げ道として、
「あえて、出さない」という
手はあるものの、
「コミュニケーション手段」
これで困ってしまうのは明白。
もちろん、
「いっそ、黒電話と赤電話の
 世界にしてしまい、
 完璧に昭和だ!!」
当然にアリ。『描けるのであれば』

あと人物像。
個人的にはね…
「生き物」「人間」だということは、
考えの端っこには
あったほうがいいと思ってる。
『人間なんだから、
 考えだって変わるし、
 言ってることだって変わるよ!』
…やりすぎると破綻するので
要注意ではあるものの。
「高校二年と高校一年の
 吹奏楽部の女の子」とだけ
決めた「おはなし」の中で、
『キャラクターが勝手に動く』
あたしはひたすら、つぶさに見て
言葉に落とすだけ…ということも
経験しているので、
走り始めの時は、思いっきり
「ぽやん」としてても
いいんじゃないかしらね。
…ただ、どうしても
『盛りたくなるんだぁ!』
「個性」と「設定」は
違うんだよ…ということを
意識できるには…
一回、失敗するか…
盛った設定を後から読み返して
「…これはナシだなぁ」と
思うのか…
これは本当に冷酷だけど、
「書き手自身にしか
 感覚としては、わからない」
部分かもしれない。むー。

みたいなことをね。
手元にある紙やノート…
あたしはA5の白紙だけど。
筆記用具はなんでもいいんで、
ぐりぐりと書いてみる。
あらすじでもいいし…
『フローチャートだって
 かまわないんだぞ!』
発表するまでは、
一方的に書き手の勝ちだから。
発表したら、もうその作品は
「読み手のものだから」
これも感覚ではあるんだけど…
「どう読まれてもかまわない」
やぶれかぶれ、と言っても
いいかも知れない。
発表という手段を取ったと
言うことは、
「後は野となれ山となれ」
あたし個人としては、
あとから作品の内容について、
あーじゃこーじゃ言うのは
好きじゃない。
「読み手の自由を奪うから」
「こう、書きたかったんだ!
 うまく、いかなかったの!!!」
これ位は言うかもしれないけどね。

いや。難しい話じゃなくて。
「自分が読み手として
 嬉しいであろうことを、
 書き手として行う」
…軽く立ち位置が難しくなってきたね。

「高度なお人形遊び」は
見方によっては多次元的で、
『書いている世界』
ある意味では箱庭だよね。
『書き手と読み手』
とんでもないリアルだよね。
だって現実だから。
『この二つを両立させる』という
結構「おそろしいこと」でも、
あると、あたしは思う。


だからこそ、
「やってみたくなる」
ものじゃないかな。たぶん。

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