星のかけらの宝箱

どなたかこ存じではないでしょうか、このブログの方向性を…

カテゴリ: ものかき術

こうねぇ…
「高校の力、すごいな!」
書き手として立った時、
「高校と言う舞台」って、
相当に力があるわ。
自然とこう…何て言うか、
「世界の方から、出来上がってくれる」
そんな感じがする。

その力を、素直に使えてないから、
御崎高校シリーズは、
つっかえてるのかも、知れないねぇ…
「流されるのも、大切」
そんな気もする。


ただ。
言うな。
気付いても、言うな。
『ひみつの階段って、言うな!』
「何かに影響される」って、
今の段階だと、どうしようも、ないな…
書いて、書いて、また書いて、
突破しないといけないんだろうな、たぶん。

自分に関しては、
「氷室朱実」も、
本名についても、
『そんなん、記号なんだから、
 多少間違えても、
 思いっきり間違えても、
 気にしないよ!!』
という、感じなんですが。

「キャラクターの名前」
本気で、悩みます。
すっごく、悩みます。
大切な「要素」だと
思っているので、
「不自然ではなく」
「変にキラッとしてなく」
「古く感じることもなく」
なんていう、「欲張り」なんで、
ブレインストーミングしてみたり、
「路線図」眺めて
漢字を抽出してみたり…

ただ、「幸の話」に関しては、
「世界」が先に浮かんじゃったんで、
これを逃さず、書き留めるには、
ちょっと、名前考える余裕がない!
…吾妻ひでおの、「アル中病棟」から
拝借しました。
いや、目についたので、つい。
『一緒に読むと、
 夢が壊れること、うけあい!』
↑書き手として、それは、どうか…

特に、「苗字を決める」って
人生で、「まず、ないんで」
谷間に落っこちたら、
はい上がるの、大変!!
「いわれ」とか、
「背景」とか考えちゃうと、
まーったく持って、「決まらない」

ただ、やっぱりねぇ…
ちゃんと、考えたいんだよね…

『そこに引っかかって、
 御崎高校シリーズの設定、
 まーったく、進まないのは
 いかがなものか!!』
…だってー…
「決めたら、決まっちゃうんだもん」

「ぽん!」と、出るときは
出るんだけどねぇ…

やっぱり、「キャラクター」は、
あたしにとって、大切なのよ。
浮かぶときは、「おもいつき」だけど、
「思いついたからには、
 ちゃんと、考えてあげたい」
…「あげたい」って言うのも、
おこがましい気もするんだよね。

あたしの空想の中、なんだけど…
「人間」なんだよ、あたしにとっては。
あたしは、そうありたい。
「ムダな努力」と言われてでも、ね。

三人、
思い付きは、しましたが。

…気力と体力が、ない。

ので、書くとしたら
「季節外れに、
 なんだ突然、といった感じで
 書くと思います」
ま、
「新米姉妹のふたりごはん」
みたいな感じには
なっちゃうと思うけどね。

…しょーがないだろ!
・女の子三人
・バレンタインデー
・キャラクターを増やさない
この条件だと、
そうとしか、ならないよ!!

毎回、
「意外性」は気にしたりするものの、
「世界観」とのせめぎあい
だったりするんだよね。
いや、ここで三人が巨悪に向かって、
『フルートの音色』で、戦う!
『なんだ、その
 「ぴちぴちピッチ」』
(いつも思うんだけど、
 「一文字間違えると」
 とんでもないことになる題名だよね
 『最低だ、あんた…』)


これね、やっぱり
やりすぎ、とか、
悪ノリしたりすると、
「読者、裏切っちゃう」んだよね。
例えば…うーん、
古くて大変申し訳ないけど、
ウェディングピーチの
「ウェPロボ」
あれ、完全に男子目線だよね。
若干、「見なきゃよかったか?」と
思ってみたり。
まぁ、ウェPはなー!
そういうもん、っちゃー
そういうもんでもあるし。
だってさ。
「ヴァージンラブ」のステージで、
…パンツ見せる必要性、あるか?
まぁ、あれはねー…20歳頃か?
「あたし、ひなぎく、やる!!
 誰か、ももこと、ゆり、やってよ!!」
賛同者が出ず、悲しい思いをしたという…
『うぉっほん!!』

『勝手な言い分ですが』
男性向けにしてさ、
「そりゃねーよ」みたいな設定つけた方が、
「らく」だと思うよ?
あくまで…まぁ、現代だと若干合わないけど、
『どこかに、いそうな、いなさそうな、
 いても、おかしくは、なさそうな』
という線を狙って考えてるから、
毎回、細かいところで
苦労してみたり、と。
特に、
「キャラクターの発言」は、怖いからね。
「キャラクターの発言」は、
「キャラクターの思い」だからね。
『この発想…
 いいんか?わるいんか?
 高校生、こういうこと、言う?思いつく?
 …むぅ…
 走っちゃえ!ぶん投げ!』
だんだん、「誤差」が溜まっていきまして、
回収とか修正に、苦労するという。

やっぱりね、
だいたい、どの作品も、
「妥協の産物」なんだって。
どっかしら、妥協してるんだって。
『一切の妥協がない、
 真剣のような、見事な切り口!』
あたしには、無理だと思う。
キャラクターが
「動いちゃったら、考えちゃったら」
そうとしか、書けないんで。

なので、あたしは
どちらかってーと、
「キャラクター思い」だと、思うよ?
絶対、幸せになって欲しいもん。
「そりゃ、ないやろ」と言われてでも、
せめて、幸せなまま、卒業させてあげたいもん。
『苦労するのは、あたしの現実だけで、充分』
…という、書き手の勝手により、ね。

だから、どのキャラクターも、
「会いたい」というより、
「そっと、覗いてみたい」
なんかこう、
電柱の後ろとか、
塀の陰から、そーっと、見つめて…
『職務質問される』
そんな感じ。
会っちゃうとね…
あたし作り手だから、壊しちゃうと思うんだよね。
なんだろ、こう…
「卵の殻よりデリケート」みたいな感じ。
それを、そっと、
あたしの世界に「放ってあげると…」
物語になる。
そんな気がしてる。

まぁ、今日思いついた話は、
「ありきたりー
 マンネリー」と
言われそうな気がするけど…
『マンネリ・お約束は、大切なことなの!』
森重社長の浮気は、
絶対、成就しないでしょ!!
(例えが古すぎる上に、
 誰も、知らないって…
 東宝の社長シリーズなんて…)

今、ふと思った。
『やっぱ、作家って、変人なんだよ』
そういう「生き物」
ね!!!


……
いや、堀辰雄は
変人でもなんでもないような
気が、しなくも、
なくは、なくー…

「作品のキャラクター」に
取り入れたいとしたら、
どんなことも、
どんな姿も、
見ることができたら、
見てみたく、なるでしょ?

「ほうほう。おー、うん。
 あ、やっぱそうか。うんうん。
 あ!
 あそこの窓、反射してる!
 後ろ側も見えた。らっきー!
 やった!なるほど!」

『すけべ!』ってひっぱたかれても、
それは、それ。
「いてー…マジ、痛い」

「おはなし」の中では、
あたしの現実を
「ある程度」切り離すことが
できる訳でしょ?
『完全に、切り離したら、
 おかしくなると思うんだ』
…だって、「経験」を
入れることができなくなるから。
「いやいやいやいや、
 そっち向かうな、って。
 若干、おかしくなるから。
 あ?でも、ナシというわけでは
 ないんかー…
 受け手側の反応を変えると…
 なんか…
 これは…ドツボかも…」
BackSpace連打!!みたいな。

キャラクターって不思議なもので、
書き手の自由に動かせると
思っていたら…
輪郭が、出れば出るほど、
「勝手に動いちゃう」んだね。
手を引っ張ったりすることは
できるんだけど、
「納得してもらえなければ」
…納得しないようにしか、動かない。
すべて、あたしの頭の中なのに、
なんなんだ、この
不思議で、訳わからない世界は!

あたしができることは、
…傍らで、パソコンに向かって、
ひたすら言葉に落とすこと。
書きあがって、
「ぱちん!」と、世界と切り離れたら、
印刷した、打ち出しに向かって、
赤ペン持って、「冷酷」に、
言葉としておかしい部分とか、
「頭が冷えたら」ここは、おかしいと
感じた部分とかを、赤入れすること。
それを、ぐるぐると繰り返して、
「もうムリ!こうとしか、ならない!」
…覚悟して、発表すると。

もしかしたら。
「やった!会心の出来!」というのは、
一生、『ない』んじゃないの?
むしろ毎回、
「…ここ、妥協した。くそーーーーー!
 ただ、こうとしか書きようがないんだって。
 シリーズとして完結したときに、
 しれっと、直してやるか…
 いやでも、ここを変えちゃうと…
 うわーーーーーー!
 自分が創り出したがために、見えるんだけど、
 内側から見たら、やっぱりこうだし…
 何か言われても…ここは…覚悟だな」
毎回、そんなこと、
繰り返すような気がする。

今思ったんだけど、
「お互いを尊重」してるんじゃないかな。
人間として。
あたしと、キャラクターと、お互いに。
あたしが手加減しないんだから、
向こうだって手加減しないんだって、たぶん。
『書けるもんなら、書いてみろ!!』
『くそーーーー!!!
 スイッチはあたしが、持ってるんだ!!!』
『消してみな…?
 世界ごと、消えるから』
『こんのぉ!!!』
でも、それが「楽しい」んだよね。

やっぱり、
「全部を勝手に創り上げる」ことは、
たぶん、できないんだろうね。
だって、キャラクターに人格があるから。

『最近、忙しくて疲れていて、
 書いていない』というのが、
最大の難点だけれども…
「視点」とか、そういうものは、
書いてなくても、「意識していれば」
ついてくるものなのかな。
…そして「書いたときに」
裏切られるんだよ!きっと!
「こんな、はずでは!!」

楽しいよね。
わくわくするね。
キャラクターは人間なんだから、
そうなって当然だよ。
ここを「楽しい」と取れるから…

書きたいんだよ、きっと。

くそー。
疲れなんか取れる訳ないよー。
あと、一日…

そらね。
あたしだって、学校生活を
女子として送りたかったよ?
けど、
「良い面だけ」というか、
「憧れから見た、夢見た像」では
ないよ?

そりゃさ。
人にも、集団によっても、
思いっきり、変わるけどさ。
人間関係は基本、めんどくさくなり、
下手に恋愛なんか絡もうものなら、
水面下で探りあったり、
「言葉の情報戦」となったり…

…あたし、女子でも
アセクシュアルになったんじゃないか?
『それは、とりあえず、置いておいて』

なんつーのかね。
例えば三人、
勝手に動かしていたら、
「勝手に個性がついてきたよね」
鈴子は、結構「食い気」に走って、
あとで「太った!」と騒ぎ出す。
…そういうことする、
「調子の良さ」がある。
美香は、まだ描写してないけど、
おっとりしているようでいて、
「その気になったら」相当、怖い。
鈴子みたいに、普段から
ぺしぺしと反撃はせず、
「…ふーん…」
地対艦ミサイルの照準を
時間かけて、しっかり合わせて…
怖いな!美香、怒らせたらダメ!!
あー、でも鈴子が余計なこと、しそうな気がする。
舞由はかなり純真というか、
透明というか…
だから、「利用されても、気が付かない」
『幼い』って表現も、できるかもね。
(ものかきとしては、
 「そこ、成長させたいよね」って
 身勝手なこと、考えるんだよね)

そういう点では、
幸は動かしやすいよー。
幸には「思想」があるんだもん。
ただし、「果実が実って収穫するまで」
絶対に誰にも気づかれまいとする
「芯の強さ」がある。
「それすらも、他人には見せない」
だから、バランスとして、
「滝野川のおじさん」思いついたのは、
けっこう、「必然」だったんじゃないかな。
弱くなったり、自信なくしたり…ということを
『表に出せる、相手が必要だよね』
しかも、同じ方向を向いている人が。

書き手が言っちゃうと、
こうなんか、「天狗」に見えちゃうけどさ。
「お手洗いにも、当然行くし、
 夏の暑いときに昼寝をすれば、
 腹出して寝ている」くらい
『飾ってない、気取ってない、
 演じても、いない』
演じるについては、幸は別物だよ?
「そういうキャラクターだから」
ただ、肩の荷は「おろさせて、あげたい」から
滝野川のおじさんが、いるわけで。
なんて、いうのかな。
「女の子の、いいところも、
 悪いところも、ぜんぶ含めて」
それでもやっぱり、
そっちの方が良かったかなぁ…みたいに
あたしは思っている、と。
これはあたしの見方だけれども、
男女どちらでも、「ほぼ」
範囲は重なると思うの。人間だから。
「微妙に重ならない部分」
それを、やってみたかったなー…
だから、男女の立場が逆になれば、
あたしからしたら、
「そんなことが、したいの!」
という部分「こそ」経験したかった、
という人がいても、おかしくない。
…というか、いると思う。

だから、
「女子高生が、革命夢見たら、どうなるんだ?」
…ここまでは、「ヨタ話」だよね。
いざ書いてみたら、「書けちゃった」
…夢見ていたら、書けないよね。
例えだけれども、
女の子が、リボンがかかった、
砂糖細工のような存在だと思っていたら、
幸は絶対に、生まれていない。

そう思っているから、
あたしはものすごい「身勝手」だよ?
「こんなことまで、やりたかったの?」
「いや、むしろ!むしろ!」
という感じなんで。

「あたしにとっては」
それは、自然な姿なんだけど、
「夢見て、憧れて…」という見方も
否定しちゃいけない。
というか、「否定する権利は、ない」
同じ方向を向いているんだけど、
視点が違うだけだと思う。
だってあたし「卑怯」だもん。
…「輪の中から見た」ことも、あるんだから。

なので、「おはなし」として
昇華させたいのかなぁ…と
最近、思いつつある。
だから、どんどん難しくなっていっているのが、
「御崎高校シリーズの主人公」
盛…ったら、おかしくなるし、
自然な姿と、「物語の主人公」の交点…
『どうしようかなぁ、もう!!』
道を間違えたことに気づいて、
後戻りをさせててでも、
「歩き出させるしか、ないのかな」と
思いもするし、
「後戻りしたことも、
 経験になっちゃうよね」とも
思いもする…ので、
「う゛ぁ………」と、
タバコの吸い殻の本数ばかりが、増えていく。

ただし。
「夏歩」については、
ものすごーく、美化されたというか、
「夏歩の悩みを、
 夏歩らしく解決させてあげたいな」と
思いついているシーンがあるので、
それは、たぶん、いつか、書く。
ただ、「書くと現実になるから」
怖くて「書いていない」というのが
今日時点での、あたしの気持ち。

「美化しない、させない」
「書いたら、現実になる。
 なぜなら、言葉にするから。
 書くなら、覚悟が必要」

あたしは『勝手に』そう思っている、
ということ。

小説書いてるとき、
どーしても、
「着地」できなかったら…

『法話風に
 結んじゃえばいいのか!!』

我ながら、
見事な着眼点!!

…一気に抹香くさくなる上に、
「世俗の煩悩まみれ」と
言われれば、そこまで、だねぇ…

まぁ、
「そういう手もあるよ」と、
メモ帳にでも書いておくか。
A5の白紙は、大量に、ある!!


「何でも貪欲に取り入れる」って
小説書くには、
すごく大切だと、思うよ。
だって、
「ひきだし」の分だけ、
話の展開の幅ができるのだから。

しかし、今夜は
「いろいろ手を出し過ぎて」
頭の中、取っ散らかっているので、
何かまとめるには、向かないなぁ…
(こういう時「こそ」
 なんかネタって取れるの…?
 やっぱわかんないし、
 難しいねぇ…)

「運がいいとか 悪いとか
 人は時々 口にするけど」

『原稿用紙五枚縛り』
あれが、まさかまさか
あそこまで「形になるとは」
あたしが、思ってなかったんだって!!

案外なところだけど、
「締め切り半月前のものかき」と
「保健室と未来」
あの二作だって、
「あそこまで、
 すとん、と行くとは
 思っていなかったの!!」
…まぁ、あれが超えられないとも言うけど。

ただ、やっぱ書いてみて
「…季節…いや、
 日、すら超えられないんじゃないか?」
どうするか…
「設定詰めるっきゃないよね」

ただ…
『縛るのと、設定するのは
 どう、違うんだぁー!』

しくしく。

ただ、あの頃やっぱり
神がかりに近くてねぇ…
自分としての経験値が、
一作一作で、
ものすごく「濃い」のよ。
自分で言うのもナンだけどさ。

なので、自分の中で
「できることと、できないこと」
イメージ浮かべば書けるけど、
「イメージとイメージを、つなげる」
とか、
「根底にある世界観」
とかは、自分にない!と思っているので、
いろいろ、手は出しては見てます。

ただ、
「わかんないよぅ…」
恥かくのはかまわないんだけど、
恥かくための「作品」にまで
持って行けないよぅ…

『やっぱ、煮詰まったので
 今夜はここで、寝ます!』

…「手法」で煮詰まるとは
思ってなかった。
難しいね、やっぱり!!

ま、寝るまでに
軽いネタ思いついたら、
何か記事書くかもだけど…

おやすみ☆

完璧なる思いつきなんだけど。

・教室がある
・席が隣どおし
・休み時間に、
 相手がノート書いていた
『相手の消しゴムが落ちた』

拾ってあげるのか。
じっと、見つめるのか。
笑いだすのか…
端が転んでもなんとやらで。

では、
「拾ってあげる」を
選んだとしよう。
そのまんま行くと、
どちらかと言えば
拾ってあげた子は、
優しい方かな…だけど、
例えば、拾ってもらった方が
「めずらしい。
 雨でも降るの?
 えー、傘持ってきてないって!」
「拾ってあげたのに、
 ひどくないー?」
こう持ってくると、
・言いたいこと言えるくらい
 仲がいい
・拾ってあげた方の子は
 案外、普段はガサツなのかも
と、「色」がついてくるよね。

ただ、これを
「設定として言葉にすると」
案外難しいことでは、ある。
むしろ、
「盛っちゃった方が簡単」
『ガサツだけど、
 心根では優しい子』とかね。

これが、やってみて
「もんのすごく、難しい」
から、A5白紙戦法とか
「なんとか、ならんのか…」
と、あがいているところ。

いや、設定で
『ガサツだけど、
 心根では優しい子』にして
かまわないことなのよ?
ただ…恐らく「縛られる」
設定があるがために、
何かの動きがあるたびに、
そう「動かさないといけない」
…と、書き手が信じ込んでしまっても
おかしくはない。
なぜなら、
「言葉として具現化しているから」

昔書いたことではあるものの、
「表現は平易に、
 描く世界は、ばかでかく!」
これの「交点さがし」って
やっぱり、難しいよねぇ…

「言葉までいかないところを、
 『どうやって書き留めるか』」
延々半年くらい
悩んだっておかしくなーい!

また思いついたことだけど、
「書き手側での
 設定の『破り方』」って
いう手法もあるのかも知れないね。

何か、お人形遊びから
『編み物に近づいてないか?』
一目や二目の目の数え間違いは
あっても何とか編み物にはなるけど、
ふわっとした
ベビーカシミヤのストールのような
世界にしたいとしたら…

『割と、
 どうやっていいのか、
 わかんないねぇ!!』

まぁ、プロの作家でも、
一つの作品に、
数えられるくらいの「穴」は
開いてしまうもの、らしいけどね。

なんつーの(挨拶)

A5を
「縦に置こうか」
「横に置こうか」
ずっと悩んでいるバカです。
縦の方が書きや…うーん、
色々な意味で「幅」と考えれば
横だなぁ…ねぇ。

個人的には。
「書き手が違えば、
 頭の構造が違うので」
プロットやシーンの
まとめ方・出し方は
異なっていていいと思うの。
逆に言えば、
「自分なりの方法が
 見つかるまでが
 一番苦しい」とも
言えるわけで。

例えば
「舞台の時代」
これ、あたしは基本的に
『悩まない』
あくまで、現代「風」
…「風」としたのは、
若干の幅があったほうが、
最初の考え出しとしては
可能性が出てくるから。
例えばね…
主人公がスマホを持てば、
ほぼ「現代」
電話をかけるために
売店でガム買ったら、
「20年くらい前?」
いつにするのか、を
決めるのは…
『小説として固めるまでなら、
 いつでもいい』
ただ、自由なことは
逆に不自由でもある。
「スマホで地図見てた人が、
 電話をかけるために
 10円玉探してたら、
 さすがに、おかしいよね」
あたしがよく
「背骨」とか「芯」とか
言っていることの一端は、そこ。
ぼやーんと浮かんだ世界が
一体、『いつ頃だ』
これは、なにかの時点では
決めなければならないこと。

ただ、発表するまでは
「書き手の勝ち」なので、
舞台設定の時に決めてもいいし、
途中まで書き上がったところで
「やっぱ…年代変える!!」
別にそれでもかまわない。
『ちゃんと、つじつまが合えば』

とは言え、舞台の時代設定は、
「物語の中での人物の動きや思い」
からしたら、重要度が低…
「そこまでもいかないのが、
 小説の楽しいところでもあり、
 苦しいところでもあり」
小道具としてのスマホって
ほんと、恐ろしいよね。
「せめて」2010年から
先でないと、世界が破綻する。
逃げ道として、
「あえて、出さない」という
手はあるものの、
「コミュニケーション手段」
これで困ってしまうのは明白。
もちろん、
「いっそ、黒電話と赤電話の
 世界にしてしまい、
 完璧に昭和だ!!」
当然にアリ。『描けるのであれば』

あと人物像。
個人的にはね…
「生き物」「人間」だということは、
考えの端っこには
あったほうがいいと思ってる。
『人間なんだから、
 考えだって変わるし、
 言ってることだって変わるよ!』
…やりすぎると破綻するので
要注意ではあるものの。
「高校二年と高校一年の
 吹奏楽部の女の子」とだけ
決めた「おはなし」の中で、
『キャラクターが勝手に動く』
あたしはひたすら、つぶさに見て
言葉に落とすだけ…ということも
経験しているので、
走り始めの時は、思いっきり
「ぽやん」としてても
いいんじゃないかしらね。
…ただ、どうしても
『盛りたくなるんだぁ!』
「個性」と「設定」は
違うんだよ…ということを
意識できるには…
一回、失敗するか…
盛った設定を後から読み返して
「…これはナシだなぁ」と
思うのか…
これは本当に冷酷だけど、
「書き手自身にしか
 感覚としては、わからない」
部分かもしれない。むー。

みたいなことをね。
手元にある紙やノート…
あたしはA5の白紙だけど。
筆記用具はなんでもいいんで、
ぐりぐりと書いてみる。
あらすじでもいいし…
『フローチャートだって
 かまわないんだぞ!』
発表するまでは、
一方的に書き手の勝ちだから。
発表したら、もうその作品は
「読み手のものだから」
これも感覚ではあるんだけど…
「どう読まれてもかまわない」
やぶれかぶれ、と言っても
いいかも知れない。
発表という手段を取ったと
言うことは、
「後は野となれ山となれ」
あたし個人としては、
あとから作品の内容について、
あーじゃこーじゃ言うのは
好きじゃない。
「読み手の自由を奪うから」
「こう、書きたかったんだ!
 うまく、いかなかったの!!!」
これ位は言うかもしれないけどね。

いや。難しい話じゃなくて。
「自分が読み手として
 嬉しいであろうことを、
 書き手として行う」
…軽く立ち位置が難しくなってきたね。

「高度なお人形遊び」は
見方によっては多次元的で、
『書いている世界』
ある意味では箱庭だよね。
『書き手と読み手』
とんでもないリアルだよね。
だって現実だから。
『この二つを両立させる』という
結構「おそろしいこと」でも、
あると、あたしは思う。


だからこそ、
「やってみたくなる」
ものじゃないかな。たぶん。

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