星のかけらの宝箱

どなたかこ存じではないでしょうか、このブログの方向性を…

カテゴリ: 女子高生革命小説

あの…まぁ。
幸の話は、そういう話なんで、
そら、「あのお方」が出てこないのは
『コーヒーを入れないクリープなんて!』
位の、軽いノリで書いたものです。
「気が散って作品が完結できない」
どこかで聞いたような作家も出てきます。

…錦糸町の北口に、
民主書店なんて、需要あるのかしらね。
原稿用紙6枚

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 おじさんと一緒に、錦糸町駅の北口改札を出た。外に出ると、クロワッサンみたいな大きな像があった。
「さっちゃん、このあたりは碁盤の目だから、どこを曲がるかはしっかり覚えておくんだよ。あとで地図を描いてあげるから」
 横断歩道を渡って、路地に入って、いくつか角を曲がると、古本が乱雑に積まれている書店があった。看板は、「学導舎書店」と何とか読めるくらいかすれていた。おじさんは入り口の扉に手をかけると、「よっこいしょ」とかけ声をかけて扉を開けた。
「あ、滝野川の先生。用意させてもらいました」
 丸眼鏡をかけた、おじさんより十歳位若い、やさしそうな人が奥に座っていた。がっしりなのか、ぽっちゃりなのか、服の上からはわからなかった。たぶん、この人がこの店のご主人なのだろう。
「あのシリーズは、O書店ではなく、I書店になっちゃいますが、いいでしょうか」
「仕方ないな。けど、揃っただけありがたい。よく店にあったな」
 ご主人とおぼしき人は、丸眼鏡をかけたり外したりしながら、本や雑誌を机に並べ始めた。
「さすがにもう店には置いてないです。今回は、押上の先生が動いてくれました。あの先生、普段は面倒なことしないんですけど、事情を話したら、二つ返事で一気に集めてくれました」
「それはお礼をしないといけないな」
 おじさんは腕まくりをすると、並べられた本や雑誌をぺらぺらとめくっていた。
「それは大丈夫ですよ。押上の先生、また興味の分野が変わって、時間があるみたいですから」
「あの人も長続きしないな。例の学園ものも、完結していないんだろう?」
「本人は書く、書くと言ってますけどね」
 おじさんは手にしていた本を机に戻すと、私に前に出るように手を出した。
「紹介しよう。有望な革命戦士だ。そうだな、馬込の戦士、とするか。これからここに世話になると思うから、よろしく頼む」
「学導舎の主人です」
 ひょこっと頭を下げた丸眼鏡の人は、やはりご主人だった。そして、名刺大のカードを手渡してくれた。
「欲しい資料があれば、まず電話してください。物によっては時間がかかりますが、ほとんどは翌日には揃います。日曜日はお休みです」
「たとえば今回みたいに、おじさんの同志が動いてくれるんだよ。もちろん、おじさんが動くこともあるがね」
「そういえば、雨が降るようです。帰りは雨に気を付けてくださいね」
「しかし、あの先生は、気が向いたときはとにかく早いな。すぐ気が散るのが困ったところだがね」
「他のことに気を取られないうちに、揃えてきてくれて助かりました。滝野川の先生、いつもどおり月末払いにされますか?」
「いつも悪いね」
「自分も商売ですから。先生は間違いなく払ってくれますから、安心です」
 おじさんは店の奥をのぞきこんだ。
「例の物は用意できたかな?」
「こういう物こそ、押上の先生ですよ」
 ご主人は店の奥から暗い赤の、女性向けのボストンバッグを出してきた。そして本や雑誌をボストンバッグに器用にしまい始めた。
「馬込の戦士はレディだからね。それにお嬢様育ちだから、集まった本を親に見られたら大変だろうから」
「このバッグは押上の先生からのサービスだそうです。何でも、滝野川の先生には借りがあるって言ってました」
 ご主人はバッグのファスナーを閉じた。
「ああ…そういえば忘れていた。法律関係の本を何度か届けたんだ」
「押上の先生は変わってますからね」
 ご主人はボストンバッグをおじさんに手渡した。
「レディに持たせる訳にはいかない。浅草橋駅まで、おじさんが持っていよう」
 ご主人は笑うでもなく、無表情のまま私に言った。
「入りづらいですが、気軽に来てください。今回揃えた本の他に、ソ連、中国史、いろいろな占いの本もありますから」
「さすがは神秘学研究家だな、ご主人」
 おじさんがそう言うと、二人は声を上げて笑った。
「一人で来ても大丈夫ですか?」
 私はたずねた。毎回おじさんの手をわずらわせたくないから。
「大歓迎ですよ。入りづらいのがアレですけど」
 やはりご主人は眼鏡をかけたり外したり忙しい。けど、悪い人ではないみたい。資料に困った時には、ここを頼ればいい。さすがはおじさん、いいお店を知ってる。
「雨は降らないみたいですね」
 ご主人が言った。
「助かるな。ありがたい限りだ」
 おじさんが答えた。私は、まるで自分の秘密基地ができたような気がして、嬉しかった。

 私は、家に帰ると、夕食もそこそこに部屋に入った。そして、今日起きた出来事を振り返っていた。『細胞』ができたと言えるだろうか。いや、「できかけている」が正解だろう。岡山さんがどんな原稿を書いてくるかわからない、真子がきちんとが演説できるかどうかわからない。不確定要素だらけだ。ここで私が大きく手を出すことは簡単だが、彼女たちに「成功体験」させなければ、と考えた。体験に勝るものはない。
 私は、クローゼットを開けると、人並みには揃っている服を手で寄せると、本を置いている場所を見た。そこには、おおよそ女子高生が読まないであろう本が並んでいる。おじさんからもらった、「普通は手に入らない」資料まである。その中から私は、1番手にすることが多いであろう「語録」を手にして、机に戻った。
 迷いがある時、戸惑った時、私は「語録」を読むことにしている。しかし、「語録」が生きていた時とは、時代も、世界も違う。自分の夢とはいえ、なんでこんな夢を見てしまったのかと自分を叱ってしまうこともある。そんな時に必要なのは…仲間だ。私は、おじさんに連絡が欲しいとメールを打った。おじさんは、私の電話代も心配してくれて、自分がかけ放題プランになるから、いつでもメールを打ってくれればと言ってくれている。それほど待たずに、携帯が鳴った。
「さっちゃんかい」おじさんだ。
「お時間、よろしいですか?」
「私は時間は自由になるさ。もっとも、締め切り前だけはご勘弁ねがいたいけれどね。さて、何かあったかな?」
私は、今日起こったこと、つまり真子を生徒会役員選挙に立候補させること、そして、岡山さんという協力者を得たことを伝えた。
「お見事だ。そこでさっちゃんは主人公になってはいけない。何か兵法でも読んだかな?」
「いいえ、私の考え、いや直感です。どうでしょうか?」
「やはり才能だな。すばらしい。けれども、直感に頼っていては迷いも生じる。何より何かに陥った時にすがる物がない。そうだなぁ、いつか渡そうと思っていた本を、今度遊びに来てくれた時にでも渡そう」
「ありがとうございます。週末には伺います」
「また私の昔話も聞いてくれるかな」
「ぜひ聞かせてほしいです」
「いやぁ、歳をとると色々と寂しくてね」おじさんは珍しく弱音を吐いた。
「そしてさっちゃん、次の手は考えたのかな?」
「しばらくは行方を見守るつもりです。あくまで彼女たちが成功したという形に持っていきたいと考えています。…失敗したら、その時に考えます」
「必ず成功するさ。そう信じること。ことを起こす時の自信は、ありすぎる位がちょうどいい。さっちゃんは冷静だ。いつだって冷静だ。てんびんで言ったら片方が重い。釣り合わせるには、さっちゃんには自信が必要。今日だって、見事に事を進めた。違うかい?」
「そうです。成功した、と言えます」
「それは、誰にでもできることではない、違うかい?」
「そうです。…ためらわれますが、自分だからできました」
「そこはためらわないことだ。さっちゃんだからできた。いや失礼、革命戦士だからできた。戦士よ、自信を持つんだ」
「ありがとうございます」
「なに、私にできることは話し相手になること位だよ」
「また相談に乗ってください」
「喜んで。では、おやすみ、同志よ」
「おやすみなさいませ」
 電話が切れた。私は、やっとお風呂やらの自分のことができそうだと思った。肩の力が一気に抜けた気がした。

 王子駅の改札を出ると、私はいつものように右へ曲がった。すぐ目の前に、都電の乗り場がある。土曜日の昼間、都電はそれなりに混んでいるので、都電の中ではなく、乗り場入り口の臨時改札でカードをかざした。
 目指している場所は、停留所ではたったひとつ。けれど、歩くとなると登り坂を延々と登ることになる。私は都電を使うことが多かった。
 車にもまれながら走るうえに、坂もきつい。都電は時間をかけて、「飛鳥山」についた。ここから5分もかからない場所に、「滝野川のおじさん」のアパートがある。
 「滝野川のおじさん」と言ったが、私との血縁関係はじつは私はよく知らない。母方の血縁関係は複雑で、一度調べたけどよくわからなかった。ただ、幼いころから遊んでくれたり、たまにおこづかいをくれたりしていたので、「滝野川のおじさん」と呼んでいた。
 おじさんのアパートに行く理由は、もちろんおこづかいと言う現実的なものもあったが、「秘密を守ってくれる」貴重な相談相手だからだ。今はすっかり丸くなって、私とやさしく話をしてくれるが、どうやら以前は、私と同じ「計画」を立てていたようだ。しかも、私の「計画」よりもっと大規模なものだった。
 路地に入るところで、おじさんの部屋に電話をかけた。部屋に入る前に電話をかける、こうしないとおじさんはいくらドアを叩いても鍵をあけてくれない。呼び鈴はついているけど鳴らない。なぜそうなっているのかは、よくわからない。
「はい」
 おじさんは電話に出るときは、「はい」としか言わない。私は構わず喋りだした。
「幸です。いつもどおり、近所の路地にいます」
「さっちゃんかぁ。いいよ、いつでもおいで」
「では、すぐに伺います」
「『うかがいます』と来たかぁ。さっちゃんらしいなぁ。まぁ、気軽においで」
 そして電話が切れた。私は路地に入り、よくある木造アパートの外階段を上って、一番奥、おじさんの部屋の前へ来た。そして、トントン、一呼吸おいてからもういちどトン、とドアをノックした。…これは、私が訪ねたという合図。ひとりで部屋を訪ねるようになったとき、おじさんが教えてくれた。ドアはすぐに開いた。
「やぁ、いらっしゃい」
「おじゃまします」
 おじさんの部屋は、いろいろな本や新聞が乱雑に積まれている。おじさんの部屋でしか見たことがない新聞もある。私は、数少ない空いたスペースの中から、窓際の畳の上に座った。
「おこづかいのおねだりじゃない、と見たな」
「よくおわかりで」
「はっはっは、まぁ固くなさんな。おじさんの『秘密基地』に来たんだから」
「この間借りた本、続きを貸してくれますか?」
「…読み切ったのかい、さっちゃん?」
「うん」
「…こいつはびっくりした。おじさんのまわりでも、この本の一巻をひとりで読み切れた人はそんなにいないんだよ。…才能としか言いようがないね」
 そしておじさんは立ち上がると、部屋の隅に積まれた本をいじり始めた。積まれた本は、どんな順番なのか、意味があるのかは私にはわからなかった。そして、かなり古い、そして文庫にしては少し大きい本を取り出した。
「思い切って二冊渡そうか?」
「いえ、一冊でいいです」
 本を借りに来るのは口実だから。もちろん、本を読み切ったのは本当。難しかったけど、夢中になったことはうそではない。
「はい」
 おじさんと本の交換をした。私は借りた本をかばんにしまった。
「さて」おじさんはあぐらをかいた。「相談、なんだろう?」
「はい」
「『計画』にほころびでも出たかな」
「いいえ」私は言った。「計画は順調、です」
「さっちゃん、そういう時こそ、用心が必要なんだよ」
「…はい」
「まだ、誰にも言っていないんだろう?」
「もちろんです」
「そういう時がいちばん孤独なんだよなぁ。さっちゃん、冷たいお茶でいいかな?」
 私はうなずいた。おじさんは冷蔵庫から、小さいお茶のペットボトルを二本出してきてくれた。そして一本を私の目の前に置いてくれた。
「おじさんの時は」おじさんはそう言って、一口、ペットボトルのお茶を飲んだ。
「まるで何かにとりつかれたかのように、仲間を作って、すぐ行動に移したんだよ。それが良かったかどうか。その点さっちゃんは、用心している。その冷静さが私にもあったらなぁ」
「高校の見学に行ってきたんです」
「ほうほぅ」
「そして、取り掛かりは吹奏楽部にしたんですが、おじさんはどう思いますか?」
「うーん…」
 おじさんは腕組みをして考え出した。そして、
「少し、話してみるかい?」
「はい」
 私は部のだいたいの人数、雰囲気、そしておおよその一年間のスケジュールを話した。
「…観察としてはお見事。そう、よく見ること。一年間の行動予定まで得て来るとは、若き革命戦士、いや失礼した、りっぱな革命戦士としては見事な戦績と見ることができるな」
「これで大丈夫でしょうか」
「おやおや、弱気になったかい?」
「いいえ、そうではありません」私はうつむいた。
「夢と現実、って言うんですか?まだそのあたりがはっきりしなくて…」
「急ぎなさんな」おじさんは言った。
「まず見ること、観察すること。色々な角度から、ひとつのものを見ること。急いだ結果がどうだったかは、おじさんの昔話でよく知っているだろう。もっとも」
 おじさんはたばこに火をつけた。
「さっちゃんは、誰も成功したことがない、もしかしたら誰もやろうとしたことがないことをやろうとしているんだ。迷いがあっても、不思議なところはないな」
 おじさんはたばこを吸いながら続けた。
「そういう時に、頼りになったり、それこそ背骨になってくれるのが『古典』だ。正直な話をすれば、おじさんはさっちゃんを試したんだ。貸した本を読み切れるかどうか」
「すると、がんばって読み進めれば答えがある、ということですか?」
「それはどうかな」
 おじさんはたばこの火を消しながら言った。「急ぎなさんな」
「『古典』は、いろいろな読み方があるんだよ。もちろん、言っていること、すなわち論点ははっきりしたものだ。ただし、それを現実にどう合わせるか。そしてさっちゃんだ。さっちゃんには、さっちゃんなりの『古典からの宝石』を見つけるはずだ。それまでは、不安だろうけど、急ぎなさんな。不安になれば、いつでも来ていいから」
 おじさんは、ペットボトルのお茶を飲みほしてから言った。
「さっちゃんへの答えになったかな?」
 わたしはうなずいた
「さて、それではさっちゃんの好物の、おかめそばでも食べに行くとするかい?」
「はい」
 私の心は、王子駅を出たときから比べると、確実に軽くなっていた。

 浅野さんを先頭に、体育館に入った。
 全校生徒いっせいに拍手が起きた。「あさの!あさの!」というかけ声も上がっている。浅野さんは立ち止まり、右手をすっと上げた。一気に拍手が大きくなった。…「指導者」、その言葉がぴったりだった。
 私は気づいたら、「文芸委員長」という役割についていた。あの時、生徒会役員選挙の御木本先輩の選挙演説の原稿を書いてから、生徒会が出す便りや新聞、先生への報告まで私が書いていた。「私は生徒会役員ではない」と浅野さんに言ったけど、浅野さんの答えは決まっていた。「生徒みんなの生徒会だから」
 私の書いた文章は、浅野さんの厳しいチェックを受けることになる。最初は原稿を出すと、翌日には赤ペンで真っ赤になった原稿が返ってきた。「友達」はかならず「友だち」に直された。その他、細かい表現を厳しく直された。そしてある日、浅野さんはプレゼントと言って、一冊の本を私にくれた。「用字用語集」という本だった。「迷った時や、漢字なのか、ひらがななのか困ったら、これを開きなさい」と。その本は、国語辞典から意味を抜いたような本で、確かにその本を使いながら文章を書くと、自然と表現が統一された。浅野さんのチェックは、一気にゆるくなった。
 浅野さんは舞台に用意された席に向かうと、座る前に、やはり一度右手を上げた。割れんばかりの拍手だった。各委員は、浅野さんの両脇に用意された席に座った。
「浅野おまえ何考えてるんだ!」
 体育の遠藤先生が叫んだ。手は後ろ手になっており、手錠がかけられていた。浅野さんの方針は絶対に「非暴力」だったけど、女子高生が大人、しかも男性に力で勝てる訳がなかった。確保の仕方は何回も極秘に練習された。一人が正面、二人が両脇から確保する人に向かい、両脇の人が手を後ろに回すと、後ろから一人、手錠をかけた。1か月もすると、数をいくつか数えている間に、「確保」できるようになっていた。
「見てのとおり、ですよ」
 浅野さんの声がマイクを通して体育館じゅうに響いた。
「見てのとおりって浅野、先生たちをつかまえて、何かしようって言うのか?」
「何もしませんわ」浅野さんは落ち着いて答えた。「平和的な話し合い、ですわ」
「平和的なって、これがどこの平和的なんだ!」
 遠藤先生は叫び続けていた。他の先生や職員は、もう成すがまま、という風だった。
 浅野さんは初めて口元に笑みを浮かべた。そして言った。
「『革命』には、少しの犠牲はしかたのないこと、ですわ」
 そして浅野さんは笑った。…浅野さんが笑った姿を見たのは、初めてかもしれない。いつも物静かに本を読んでいるか、熱心に他の生徒に話をしているのが普段の浅野さんだった。
「さて」
 浅野さんは笑いを止めて言った。
「立場が対等、と言うのはご理解いただけてますわね?」
「お前、退学処分にするぞ!」
「理由はどうなさいますか?」
 浅野さんは、まったく動じていなかった。
「全校生徒が集まっています。全校生徒が私を支持しています。…加えるなら、教育委員会にも私の支持者はいます。『不当な退学処分』、立場が悪くなるのはどちらでしょう?」
「浅野いつの間に!」だんだんと遠藤先生の力が弱くなってきた。
「準備は、入学前から周到に、ですわ」
 浅野さんは続けた。
「最初は小さな友人関係から始めて、生徒会のバックについて、…並行して各クラスや各部に私の意向を伝える者を置いて。先生に気づかれないよう、今日の予行演習も二十回を超えています。」
「浅野!いったいお前は、何をしたいんだ!」
 浅野さんは立ち上がった。
『革命、です』
 一瞬波が引いたように静かになったあと、全校生徒の拍手が体育館じゅうに響いた。そして最初は小さく、そしてすぐ全校生徒が、「インターナショナル」を歌いだした。


『1435、第一次線を突破。これより職員室包囲に入る』
「戦線を維持せよ」
『了解』

 机の上には、連絡用の携帯電話が並んでいる。ここは、どこにでもある学校の音楽室。いつもと違うのは、不要な机は後ろに片づけられ、ロの字型に並べられた机の一番向こう側に、「委員長」が真剣なまなざしで座り、「委員長」のまわりを「各委員」が忙しく動いている、ということ。
「委員長!」
「なに」
「連絡手段は本当に携帯電話で良かったの?」
「…他に手段がないから。確かに私たちで入手できるトランシーバーはある。けど、出力も弱いし、何より体制側に筒抜け。アナログだからね。現状あるインフラは活用しないと」
「連絡が途切れることはないの?」
「大いにある。まず、近隣の基地局の電源を落とされたらそこまで。あと、ここまではしないと思うけど、ジャミングされても一巻の終わり」
「なので」となりに座っていた生徒会書記長が私の方を向いて言った
「時計合わせをして、行動が成功したかどうかは、ここから見える場所になんらかのしるしをつけている。何度も訓練したとおりよ。…ほら、保健室の前に鉢植えが二つ並んだ。職員室包囲に成功した、という意味よ」
『1440、職員室包囲に成功!』
「予定どおりに行動せよ」
『了解』
 昨日、体育館で行われた、「生徒委員会総会」で選出された「委員長」は、浅野幸。もっとも、総会は浅野さんが委員長であることを「確認」したに過ぎなかった。浅野さんは、生徒会の実権を見事に握ると、各クラス、そして各部に、浅野さんの腹心を置いた。…じわじわと、浅野さんの「思想」が全校に染みわたった。けれど、浅野さんは決して目立った行動には出なかった。「これは準備」、浅野さんの口癖だ。…学校をいくつかのブロックに分け、「自主清掃」という名目で、今日の「職員室・校長室包囲」の練習も何度も行われた。そして、…成功すればだけれども、体育館で行われる「第二回総会」で、学校職員も生徒と平等、…という名目の、「浅野体制配下」に置かれる予定。
 突然、腕組みしていた委員長が、携帯を2つ持ち、ちっと舌打ちした。
「想定より早かった。通常連絡手段は不通!鏡の用意!」
「はいっ!」
 委員長は携帯を机に投げ出した。画面の隅には、はっきりと「圏外」と表示されていた。…委員長は、これも予想していた。鏡とライトを使えば、「連絡員」の配置によって連絡はできると。「自主清掃」の何回かは、鏡とライトを使った通信で行われた。
「委員長!」
 窓際の連絡員が叫んだ。
「1458、全職員の確保に成功したようです」
「…ようです?」
「失礼しました!全職員の確保に成功!」
「予定どおり、体育館へ」
 委員長は堂々と立ち上がると、
「我々も、体育館へ向かう」
『はっ』
 各委員、そして生徒会書記長は、いっせいに立ち上がって、委員長に続いた。


 私には、「壮大なる計画」がある。今の日本で、高校生で、こんな計画を思いつく人間は少ないと思う。けど、やりたい。いや、やってみたい。
 まず私は、集団としてまとまりがあって、かつ人数も多すぎず少なすぎず、そして「がちがち」ではない、「吹奏楽部」を選んだ。体育会系では難しい。先輩の言うことは第一だし、何より「目標ががちがちに設定」されている。私の計画が入り込む余地がない。私は、学校見学の時から色々な吹奏楽部を見て来た。コンクールに向かって猛練習をしているところ、少ない人数で仲良しごっこをしているところ、どれも「計画」には不適当、と私は判断した。この学校の学校見学で、吹奏楽部の雰囲気を見たとき、「ここだ」と思った。コンクールや定期演奏会は行っているけど、「がちがち」ではなかった。部の雰囲気は柔らかくて、先輩は優しかった。たぶんここでなら、私の「計画」は実現するかもしれない、と思った。
 入学後、私は「目立たないこと」を常に意識した。けれど、目立たな過ぎて友だちがいない、これは「計画」には致命的。私はクラスで、吹奏楽部で、声をかけてくれた人には必ず良い印象を残すようにすることを忘れなかった。おかげで、「人なみ」の友だちができた。第一の目的は達成された、と言えるだろう。
 そして、三年間と言う短い期間をどう使うか考えた。真っ先に生徒会役員ということも考えたが、あえてしなかった。そう、上級生の存在。スタンドプレイが過ぎると浮いてしまうし、なにより「計画」に気づかれてしまう。
 そこに見えたのが「選挙管理委員」だった。生徒会を思い通りに動かすためには、まず「選挙」に勝たなくてはいけない。「選挙を知ること」に関しては、選挙管理委員は最も適した手段だった。運よくだれも希望者がいなかったので、あっさり選挙管理委員になることができた。そこで私は、資料集めに徹した。生徒会役員選挙では、ものすごい量のプリントを作る必要があった。なので、私が印刷室に出入りしていることは、どの先生も疑わなかった。選挙案内から選挙公示、投票用紙作成、そして投票結果まで、私は印刷室へは出入り自由だった。そこで少しずつ、「公正な選挙をたもつために」残されていた、過去の選挙演説の原稿や、何よりその時の選挙演説の原稿の写しを作って、自分の部屋にファイリングすることができた。…次回選挙へは、ものすごいアドバンテージだ。
 吹奏楽部員としても、目立たず下手過ぎず、「ワンオブゼム」に徹した。演奏会への準備さえできていれば、空いた時間に何をしていても何も言われなかった。他の楽器を演奏してみる人、おしゃべりに夢中になる人の中で、わたしは「本好き」という立場を得ることができた。もちろん「古典」を読みこなすためだ。私は駅のそばの大きな本屋で、おこづかいをはたいて、茶色い、厚い革のブックカバーを手に入れた。少し大きな文庫でも、タイトルは誰にも気づかれることはなかった。そして、機が熟すのをじっと待っていた。熟さなければ、自分が矢面に立つこと、ここまで覚悟していた。
 そこにきて真子の「刺激が欲しい」は最高のチャンスだった。真子は吹奏楽部長としてリーダシップがあり、裏表がなく、さっぱりしていた。何より、「流されやすい」。私はあの時、本を読むふりをして頭をフル回転させ、どう出れば真子が乗ってくるか、それだけに集中した。仲間がいる、そうひらめいたときに後輩の岡山さんが使える、と判断した。私と真子になついて、いつもそばにいたし、何より日記を書いていた。しかも、毎日欠かさず。「資料」を検討した結果、「結果を出す文章」を書くには、とにかく文章を書くトレーニングが必要と言う結論に達していた私にとって、いつか必ず「巻き込む」べき、そう判断していた。もちろん、「計画」を思いついてから、私も文章トレーニングに励んでいたことは言うまでもないだろう。問題はいつ巻き込むか、だった。そしてそれは成功した。
 真子―岡山さん―私という関係を考えると、動いてもらうのは真子と岡山さん、私はアドバイスと言う名目で、表に立たず、二人を動かすことに集中すればいい。表に出るのは、きちんと第一段階が終わってから。私は「計画」の第一段階が実行に移ったことを、その時確信していた。


「あーなにか刺激が欲しい」
 御木本先輩が、飲んでいたジュースのストローをくわえたまま、椅子の背にどっかともたれて、手を頭の後ろで組んでいた。
「欲しければ、作ればいいんじゃない?『刺激』」
 浅野先輩が、読んでいた本から目をはなさずに答えた。そういえば、浅野先輩はいつも本を読んでいるけど、何を読んでいるかはわからない。いつも本には茶色い革のカバーがかかっているからだ。…一回覗き込んじゃったことがあるけど、何か字がいっぱいで、よくわからなかった。ただ、小説とかじゃないことだけはわかった。
「はほえばはにおー」
 御木本先輩は、本当に手持ちぶさた、っていう感じで、ストローを口の中でかみつぶしていた。…今の言葉は、「たとえばなによー」と言いたかったんだろう。
「真子は部長じゃない?そして、去年の生徒会役員選挙に出た、とかね」
「じょうだん!」
 御木本先輩がとつぜん椅子から立ち上がって、浅野先輩の方を見た。…右手にはぐちゃぐちゃになったストローが握られている。
「よくわかんない多数決で、むりやり候補にさせられたんだから!演説だって、やる気がないことがわかっちゃうと先生に怒られるから、三日は夜遅くまで原稿書いたんだから!」
 すると、そんなことは気にもかけていないという風に、浅野先輩がページをめくりながら答えた。
「…にしては、まんざらでもなかったように見えたわよ、選挙演説。青春よねー、生徒会役員選挙」
「…茶化すつもり…?」
 御木本先輩がだんだんとヒートアップしてきているのがわかる。対して浅野先輩は、そんなの気にしていない、という風に、本から目を話す様子はない。…用事があるって言ってここを離れちゃおうか、一瞬考えた。
「その時さ、演説の原稿を書いてくれる人がいたとしたら?」
「…どういうこと?」
 座っていた椅子をくるりと返して、椅子の背中に肘をついて、御木本先輩が浅野先輩を見つめた。
「つまり、選挙のブレインがいたら、ってことよ。真子がひとりで苦労するんじゃなくって、みんなでできたら、ってこと。…そしてもうすぐ、生徒会役員選挙が始まる。『刺激』としてはじゅうぶん、なんじゃない?」
「そういえば」私はつい口をはさんでしまった。
「クラスのうわさで聞いたんですけど、何かすごい演説をした人がいる、って」
「あー、あの人か」
 浅野先輩は本を閉じて、私の方を見た。
「あの人は特別というか、天性よね。才能。あの演説、原稿どおりじゃなかったんだから。ううん、原稿になかった、が正解かな」
「なんで幸がそこまで知ってるのよ?」
 御木本先輩が、浅野先輩に向かって、いかにも疑っている風に聞いた。…確かにそうだ。私もなんで?って思うし。
「去年の選挙管理委員、私がやったから」
『えーっ!』
 御木本先輩と私は、声をそろえて驚いた。…来月が生徒会役員選挙で、そろそろ生徒会役員選挙のうわさが立つころ。そのうわさの中で先輩たちから聞いた話だと、目立たないし、やることだけはいっぱいあるしで、誰もやりたがらないのが、選挙管理委員だって聞いていたから。
「つまりよ?」
 浅野先輩は本をかばんにしまって、私たちの方を向いて座りなおした。
「刺激を求めている二年生がいる。夏の野球部の応援まではまだ間がある。その間に生徒会役員選挙がある。…そして、選挙のことに関しては詳しい人間がいる。で、岡山さん」
突然名前を呼ばれたのでびっくりして、危うく立ち上がるところだった。
「私が、なにか?」
「確か日記をつけてるのよね?」
 うっ、と私は思った。確かに、毎日日記をつけてから寝るのが私の習慣だけど、この話題になんで私の日記が、って思った。
「日記はつけてますけど、それが何か」
「毎日自分の文章を書いている、ってことよね?」
「文章なんて、そんなりっぱな物ではないです」
 浅野先輩は何を考えているかさっぱりわからない。ただわかることは、浅野先輩の頭の中には、何かの考えがある、ということ。浅野先輩は窓の方を見ながら言った。
「日記ということは、自然と文章のトレーニングをしているってことよ。無意識にね。岡山さん、国語の成績悪くないでしょ?」
「不得意では、ないです」
 浅野先輩は何か面白いおもちゃを見つけたように私を見た。そして、
「ということは、真子の選挙演説の原稿も、書けそう。そうよね?」
「むりです!!」
 私は思わず立ち上がって叫んだ。人に見せるための文なんて書いたことないし。それが選挙演説の原稿なんて。
 浅野先輩は、私の驚きは気にしないという風に、話を続けていった。
「ほら真子、揃ったでしょ。部長として部をまとめているという実績、今の吹奏楽部は決して小さな部じゃないから、リーダーシップとしてはじゅうぶん、ってこと。そして真子が苦労した演説の原稿、これは岡山さんが書いてくれそう。で、選挙活動については私が知っている。『刺激』としてはりっぱ、だと思うけど?どうせ立候補者なんて出ないでしょ?」
「そりゃあ」御木本先輩が浅野先輩を見つめて言った。「…多数決の推薦、だいたいうちの学校ではそうじゃない?」
「じゃ、立候補しちゃえばいい」
『えーっ!』
 御木本先輩と私は声をそろえて言った。今日は何回、浅野先輩に驚かされるんだろう。
「ひとりで立候補、だと誰だっていやだけど。ほら、ここにはもう、二人手を貸してくれる人がいる。私と、岡山さん。バックアップ体制としてはかなりのものだと思うけど?」
 何かすごいことに巻き込まれている、それだけはわかった。
「ひとりじゃないんだったら」
 御木本先輩は立ち上がって言った。
「最後のチャンスだから、出るか!生徒会役員選挙!」
 これが学校を巻き込んだ大きな波になるとは、私も、御木本先輩も気づいていなかった。けれども、浅野先輩だけは「最後のゴール」をその時見ていたんだろう。不思議なことに、その時楽器を練習している子は誰もいなかった。

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